憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

あなたの春闘何春闘?

 3月16日付東京新聞4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 筆者は、「春闘の成り行きが大いに注目された、官製春闘という言葉がメディアをにぎわせた。もっとも、筆者には、これはむしろ強権春闘であり、されには恫喝春闘に見える。劇場春闘といってもいいだろう。
 あなた方は、これを何春闘と名付けたいか。そう政府に聞いたら、何と答えるだろう。およそ想像を絶する面があるから、何が飛び出すか分からない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「だが、ひょっとすると、、「トリクルダウン春闘です」と答えるかもしれない。
 トリクルダウンという言葉は、ご承知の通りだ。トリクルは「チョロチョロ」とか「ボタボタ」の意だ。ダウンは「下へ」である。水滴がポタポタと下へ落ちるがごとく、富もまた、上から下へと流れる。そうゆう理屈だ。
 トリクルダウン効果がある。だから、まずは、大手企業に賃上げを実施してもらおう。ベアを受け入れさせよう。そのためには、手段を選ばず、恫喝も辞さず、大手企業の正社員たちの賃金が増えれば、彼らは調子づいてモノを買う。ワンランク上の消費に興じるだろう。すると、その恩恵は中小企業や零細企業の販売増にもつながっていく。大型家電などが売れるようになれば、其の大手メーカーたちも、下請け企業たちも潤う。そうなれば、賃上げは広く裾野にも波及していく。トリクルダウン、万々歳だ。
 このトリクルダウン物語をどう受け止めるか。そこには問題が二つある。
 第一に、端的に言って、トリクルはダウンしない。確かに、トリクルはすると言っていいだろう。だが、その行く先はダウンではなく、ラウンドである。
 富は、富める者から富める者へとグルグル回る。富のメリー・ゴー・ラウンドだ。回転木馬が一回りするたびに、その「ゴーラウンド」に参加している人々はさらに一段富んでゆく。だが、そもそも、回転木馬の外に排除されている人々にとっては、何も変わらない。けして、なにもトリクルはしてこない。
 大手企業の正社員たちが、少々、ベア・バブルに打ち興じたところで、誰がどこで潤うというのか。浮かれ消費が多少盛り上がっても、その恩恵はどこにどうトリクルダウンするのか。高額商品や株の売り手ばかりがもうかっても、回転木馬の回転速度があがるだけの話だ。トリクルダウン効果を強く主張したイギリスのサッチャー政権下においても、アメリカのレーガン政権下においても、経済格差は、拡大した。
 第二に、そもそも、トリクルダウンという言い方がいけない。何とも、けち臭くて、差別的だ。いかにも、おこぼれ頂戴のイメージである。下々の者たちは、上つ方からチョロチョロとたれ落ちてくる水の一滴・二滴にすがって生きていけ。それを干天の慈雨だと心得よ。」と、教えてくれる。
 最後に筆者は、「これを政策というのか。そんなことはない。政策は、水路無きところに水路をつくるためにある。放っておけば、トリクルダウンを待つほはない世界に、トリクルダウンを当てにしないで済む状況を醸成する。それが政策の役割だ。」トリクルダウンのチョロチョロ議論に丸めこまれてはならない。打倒、チョロまかし春闘。」と締めくくった。
 相変わらず、面白い。テンポもいい。
 確かに、春闘と言っても、何処にもバトルはない。バトルの無ければ、そもそも「春の闘い」でないのではないか。
 ならば、「なれ合い春闘」とでも命名したらどうだろか?
総評時代のストライキが懐かしい。今はストライキという言葉が、死語になって久しい。
 労働者の権利を守るべく、憲法に労働者の権利が保障されている。それが、どうして権利主張ができない労働組合になってしまったのだろうか?なぜ、今そうなのか?知りたいものだ。
 同じ労働者なのに、管理職とその他で分別しているところから、考え直さなければならないのではないか?しかも、労働者の側から。
[PR]
トラックバックURL : http://sasakitosi.exblog.jp/tb/20493927
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by sasakitosio | 2014-03-23 07:41 | 東京新聞を読んで | Trackback