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by sasakitosio

社会を劣化させるもの

 3月9日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、立教大学大学院教授・哲学者・内山節氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「子どものころは、いつか地球が壊れるときがくるということを本気で心配したもものだった。それが50億年くらい先のことだとわかっても、安心感を持つことができなかった。人類が生存できるのもあと50万年くらいである。最もこっちの方は人間が環境を破壊し続けているためにもっとずっと早く生存できなくなる日が来ると考える人たちもいて、「そうかもしれない」というしかない状況の中で、今日の私たちは暮らしている。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「伝統的な日本の社会においては、人々は過去も未来も現在のなかにあると考えて暮らしてきた。
 現在があるから振り返る過去や、展望する未来があるという意味でもあり、過去は現在を支えながら今も存在するし、未来のあることが現在を支えているという意味でもある。ところが近代的世界ができてくると、人間たちは過去、現在、未来を時系列でとらえるようになった。
 過去とはすぐ去ったもの、未来は将来でしかなくなった。とともに人間世界における経済の役割が大きくなってくると、次第に短い時間で物事を考える習慣が定着するようになった。経済は百年後のことなど相手にしない。つねにいまのことであり、せいぜい数年先の経営である。たとえばアベノミクスを見ても、金融緩和によって金をばらまけば一時的にはカネ余りの状況が生まれるが、それが長期的にどんな影響をもたらすのかは、検討されているようには感じられない。これからどんな経済社会をつくっていったらよいのかという長期的な思想も、いまの政治から読み取ること出来ない。それは外交などにも表れていて、これから時間をかけて、どんな世界や東アジアをつくっていったらよいのかという思想もなく、「やられたらやり返せ」というようなことをしているのが、今日の政治である。
 私はそれを、社会の劣化だと思う。長い時間で思考することができなくなって、いまの都合だけを、あるいは今の愉悦だけを求める思考が、この社会を劣化させている。この劣化した社会のもとでは、人間はどうゆうふうに生きたらよいのかとか、自然と人間はどんな関係にあったらよいのか、平和とは何か、というようなことを考えることが、人間たちには苦手になってしまう。そんなことより目の前のカネや今の自分を肯定してくれるものの方が、大事になるのである。ここから過剰なほどの自己肯定、現状肯定を望み、自分とって不都合なことは無視する傾向も生まれてくる。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「困ったことにこの傾向が、一部の経営者や政治家にまで広がっていることだ。彼らは原発事故が生み出した現実も無視したいし、アベノミクスがさしたる成果を上げていないことも無視したい。
 不都合なことは無視し、自己肯定という愉悦だけを求める。深刻にとらえなければいけないのは、現在はびこっているこのような傾向である。ここから不都合な過去や未来を無視するという態度も生まれるてくる。
 このような状況の中に身を置いていると、私は、過去や未来が現在を支えていると考えながら、過去、現在、未来を一体的にとらえたスケールの大きな思考を学び取りたくなる。」と締めくくった。
 筆者は、「深刻にとられなければいけないのは、現在はびこっているこのような傾向である。ここから不都合な過去や未来を無視する態度が生まれてくる」と「困ったことにこの傾向が、一部の経営者や政治家にまで広がっていることだ。」との指摘は、現在の世相を理解するのに、役に立ちました。
 ただ、超速いスピードで変化する現代、「不都合なことは無視し、自己肯定の愉悦に浸っている」輩の「賞味・消費期限」は、これまた超短いのではなかろうか?そんな経営者のもとで働く社員、そんな政治家が指導者である国民は、かわいそうではあるが?
 だから、社員・国民も「暮らしの安全」を長く保つためには、経営者や政治的指導者を選択する「眼力」を、常に養う必要がありそうだ。
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by sasakitosio | 2014-03-15 11:58 | 東京新聞を読んで | Trackback