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by sasakitosio

ヒト・モノ・カネが正しい順序

 2月9日付東京新聞4面に「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、同志社大学教授・浜矩子氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「ヒト・モノ・カネ。我々は、実になにげなく、この言い方をする。ヒト・モノ・カネは経済活動の三大要素だ。そしてヒト・モノ・カネが国境を超えるのがグローバル時代だ。当たり前のように、ヒト・モノ・カネに言及する。
 だが、ふと気が付けば、この言い方は、なかなかどうして奥が深い。よくできた表現だ。誰が、最初にこれを言い出したのかと、改めて思う。なんといっても、順序がいい。ヒト・モノ・カネ。この配列が正しい。
 まず、最初にヒトが来る。大いに納得だ。なぜなら、経済活動は人間の営みだ。人間による人間のための活動である。だから、ヒトを筆頭に持って来る。これでいい。
 次にモノが続く。これも解る。人がモノを作り、モノをお互いに取引する。これが経済活動だ。ヒトによる、モノづくり、これが軸になっている。ここにこそ、経済活動が人間の営みであるということの証明がある。
 次にカネが来る。これこそ、カネの正しい位置づけだ。カネにはしんがりのポジションがふさわしい。なぜなら、カネは元来、黒子だ。
 ヒトによる経済活動を、より便利で、より円滑で、より多様で、より規模が大きく、より広範囲な広がりを持つものにする。それがカネの役割だ。ヒトによるモノづくりのためのカネ回し。経済活動は、このような構図の下で展開する。したがって、ヒト・モノ・カネという順番が完全に正解なのである。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「だが、現実の世の中においては、どうか。グローバル時代の日常の中で、ヒト・モノ・カネという配列が実現されているといえるか。むしろカネ、モノ、ヒトが今日的現実ではないか。
 グローバル時代のカネは、実にでしゃばっている。およそ、黒子的ツツましさは見受けられない。黒子は気配をどこまで消せるかが勝負だ。ところが今のカネは気配ムンムンである。目立つことにこそ、生きがいを感じている風情だ。もはやモノづくりのためのカネ回しではない。カネ回しがもの作りを振り回す。そういう時代だ。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「国境を越えて、カネが大量に移動する。デフレの先進国から、活況の新興国になだれ込む。そうかと思えば、金融緩和の幕引きに入ろうとする先進国に向かって新興国から逆流したりする。カネの急加速や急減速や方向転換。それらに翻弄されて、モノづくりは足元が定まらない。
 黒子が主役になったことで、最も割を食っていつのが、間違いなく、ヒトである。かってのスターがいまや、ほとんどエキストラ状態だ。
 いつでも、切り捨てられる。何をやらされても、文句は言えない。エキストラの分際で役をえり好みするとは何事だ。ギャラに注文付けるとは何事か。あんたらの変わりはいくらでもいる。
 ドラマの撮影現場が急きょ変更になれば、変更前の現場で集められたエキストラは直ちにクビになる。エキストラのためを思って、不都合な撮影現場に踏みとどまる。そのようなことをする興行師は、何処にもいない。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「カネ回しがモノづくりを手玉に取り、全ての帳尻り合わせのために、ヒトが踏みにじられる。こんなことをしていると、グローバル時代も長いことはないだろう。ヒト・モノ・カネの正しい関係。その復活の日は、果たして来るか。」と結んだ。
 現実の社会を、実にわかりやすく、面白く、見せてもらった気がする。
 ヒト・モノ・カネの正しい関係、その復活の日を見てみたいものだ。
 また、「正しい関係」の必然性・合理性・人道性を論理的に解き明かし、それの「復活・実践」の筋道を、明らかにする「ヒト」が、今の日本から出てほしいものだ。浜矩子氏に期待したい。
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by sasakitosio | 2014-02-12 08:05 | 東京新聞を読んで | Trackback