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by sasakitosio

ブッタガヤ インド 日記(6)

 ナイランジャラー川のこと。
お釈迦様が、前正覚山から、難行をやめ歩いてスジャータ―村を通り、ナイランジャラー川をわたって、マハ―ボデー寺院の菩提樹の下で悟りを開いたといわれている。その川をぜひとも渡ってみたいと、出発前から希望していた。事前の調べで、枯れ川であることは分かっていたが、その枯れの程度、草木の生え具合、川幅等、現地に立たなければわからないことがある。
 かって、イスタンブールを訪ねた時。ボスポラス海峡にかかる、「日本の援助で、日本の企業が建設し完了した」ボスポラス大橋を渡り、ヨーロッパ大陸からアジア大陸へ歩きたいと「念願して」、ホテルから何キロも歩き、約50メーターの高さの橋の下にたどり着き、けもの道を上り、ようやく橋の歩道にたどり着き、これから橋を渡ろうとしたとき、橋の上で「警官」に呼び止められ、橋は渡れない、「戻れ」とのこと。大いに、落胆したことがある。日本にあったガイドブックには、そのことは一切なかった。これは、後から分かったことであるが、建設当初は歩いてわたれたが、橋上から海に飛び込み「自殺」する人が絶えないため、人の通行を禁止したとのこと。
 さて、ナイランジャラー川のことであるが、30日に前正覚山とスジャータ―村を訪れた時に、橋を渡ったので、おおよその様子はわかっていた。現地のガイドから、伏流水があることも聞いていた。
 1日午前中に、橋のふもとまで歩き、橋の横から河原に降りて、ゴミの中、汚水が細く流れるのを避けながら、河原へ。人が掘ったような20センチほどの窪みには清水が湧き出ていた。
 表面は、砂丘の砂のように白くてさらさらであった。草が生えていないところでは砂に足を取られて、実に歩きにくかった。だから、すこし湿っているところ、草の生えているところをいらびながら、約1キロの砂の道をあるく。橋を背にすると、右の対岸には、マハ―ボデー寺院の石造りの「大塔」がそびえて見える。左の対岸は数軒のお店と菩提樹の大木が見える。橋から斜めに対岸の村を目指して川を歩ききる。帰りは、昔の水浴所の跡らしい、門と階段のあるところから上陸。これも、あとから分かったことであるが、門の前の建物は、昔の王様の屋敷跡だとのこと。建物のくぐり戸状の門から人が出入りしていたが、この日は、その門を利用せず、塀の外側を回って、橋のふもとまで戻った。
 2日は、前日の日本寺の「雑煮」の会で、教えてもらった道順に、白い門柱のある階段から、川の砂原に降りた。ここから、まっすぐ川を横切って、対岸のお店のあるところへ上陸。これも昨日教えてもらった「さち」の家を訪ねた。その先にゆくと、スジャータ―の住まい跡の「塔」があるとも教えてもらったので、歩いてみると、30日に来た「塔」の前に着いた。そこから。また川を歩いて渡った。
 3日は、ブッタガヤ最後の日。マハーボダィー寺院の裏側の最下層の人たちの集落と教えてもらった「道」を通って、バザールの反対方向へ進み、建物の切れ目から「ナイランジャラー川」が見えるところ「川岸はごみのやま」を、注意しながら歩いて、河原へ。
 橋からは一番遠い、川への降り場所だ。すこし歩いてから振り返ったら、その先は、建物や降り口は見当たらなかった。
 そこから、直進して、対岸へ。自分の記念に「河原の砂」持って帰りたいと急に思い立った。だが、入れ物がない、袋も、ビンもない。何かないかと考えながら歩いていたら、リポビタンの大きさのビンらしきものを発見。プラスチックのビンだ。中は空っぽ。早速、草原のまだ踏まれていない新しい「砂」をビンに採取。歩きながら、ビンの口に入る「小石」見つけては採取。
 お釈迦様が、歩いて渡ったといわれる「ナイランジャラー川」を、悟りの菩提樹を中心に、右に左に直進、斜めに交差して、三往復してみた。時空を超えて、お釈迦様と同じ場所に立ったのではないかと、一応自己満足。
by sasakitosio | 2014-01-11 13:17 | インド一人旅 | Trackback