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by sasakitosio

エラーはつきもの、の弊害

 12月19日付朝日新聞朝刊17面に、「あすを探る 科学」という署名入りの囲み記事がある。今日の筆者は、「大阪大学教授・科学技術社会論・平川秀幸氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「先日、原子力関連の聞き取り調査をしている知人がこんな話をしていた。調査先の科学者たちからしばしば「技術の進歩にエラーはつきものだ」という言葉をきくという。たとえば1995年に起きた高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏出事故も技術につきもののエラーの一つにすぎない、と。その感覚の世間からのかい離振りに知人はあきれ果てたという」と切り出した。
 つづけて筆者は、「確かにもんじゅの事故は国際原子力事象評価尺度(INES)で軽微なレベル1.周辺環境や作業者に放射性物質の影響はなかった。この点で科学者の発言に正当性がないわけではない。だが、違和感が残るとすれば「エラー」がはらむ人間的・社会的な「意味」をないがしろにする態度が見え隠れするからだ。
 「技術進歩にエラーはつきもの」といういい方には、「そのエラーは技術進歩を止めるほど大したことではない」という含意が読み取れる。
 実際、もんじゅの事故は、配管の損傷や火災など単なる構造物の破損に止まっていなかった。もんじゅを開発・運転していた動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が事故現場のビデオ映像を改ざんしていたことが発覚。 そこで問われたのは技術だけではなく、そうした組織の情報隠蔽体質であり信頼性であった。さらに人々の不信感は動燃に止まらず原子力全体に及んだ。その結果、政府の原子力委員会が、それまでの歴史からすれば極めて異例なことに、故・高木仁三郎氏など原子力の反対派も含めたかたちで「原子力政策円卓会議」を開催するに至った。
 事故を「技術進歩につきもののエラー」としてしまうことは、このような人間的・社会的意味を著しく矮小化してしまう。」と指摘した。
 さらに筆者は、「もう一つ気になるのは「技術進歩」という概念もまた、背後にある人間的・社会的な意味を切り捨ててはいないかということだ。「技術進歩につきもののエラー」という考えはさらに「その程度のエラーや社会的反響のせいで技術進歩が妨げられてはならない」という命題を含んでいる。技術進歩は、エラーなど摩擦要因さえなければ自動的に進んでいく自然現象あるいは歴史の必然であるかのようだ。
 しかし、当然ながら技術は人の営みであり、どんな技術をどんな方向に進歩させるかは、根本的には人間によって判断され決定されている。   <中略>
 もんじゅの例でいえば、その研究開発の継続は歴史の必然ではなく、様々なエネルギー技術や政策の選択肢から、技術的な特性だけでなく種々の人間的・社会的理由によって選択されたものだ。技術の行く末が社会に大きな影響を与える以上、その選択は万人に開かれているべきでではないか。技術進歩は必然という考え方は、この問いかけにふたをしてしまう。」とも、指摘した。
 さらに続けて筆者は「遺伝子組み換え作物の是非をめぐる論争が英国で激しかった1999年、、同国政府の主席科学顧問だったロバート・メイ氏は「この論争は安全性にかんするものではなく、どのような世界にいきたいかというはるかに大きな問題に関するものだ」と述べた。ここで問われているのは、これまで述べてきた技術の人間的・社会的意味に関する問いである。それを考える主役はこの社会に生きるすべての人々だ。」と、主張する。
最後に筆者は、「福島の原発事故を契機に私たちの多くがこのことに気づき、考え行動している。それは原子力に限られないだろう。あとはどうやって技術の研究開発や政策決定にたいして影響力をもてるような制度や実践を生み出せるかだ。現在の政治状況では見通しは決して明るいとは言えないが、しぶとく、したたかに続けていこうではないか。」と、呼びかけて締めくくった。
 読んで、いくつか気づかされた。難しいのは、専門家・玄人と、一般人との関係だ。前者は、専門知識にたけている、一般人の到底及ぶところではない。科学技術だけではない、法律も政治も宗教も。
 しかし、専門家・玄人よりも、圧倒的に数も影響を受ける層も多いのが一般人だ。一般人の理解力を深めるのに、メディアの果たす役割が大きい。難しい課題を「分かりやすく・面白く・役に立つ」、そんな報道をしてもらいないだろうか。
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by sasakitosio | 2013-12-24 13:38 | 朝日新聞を読んで | Trackback