人と個人
2013年 12月 05日
筆者は、「特定秘密保護法案は世論の反対にもかかわらず衆議院を通過した。安倍政権が強権を振るうのは驚くに当たらないが、与党からの造反が一人しかいなかったことにはがっかりした。今や国会議員は政党組織のサラリーマン化し、自分の頭で考える能力を持たない烏合の集である。」と切り出した。
つづいて筆者は、「自民党の改憲案では、個人に代わって人が法的保護の対象となっている。憲法学者の樋口陽一氏は、人は生物的存在であり、個人は意志をを持つ主体だと、その違いを説明している。なるほど、自民党は自らの改憲案を先取りし、個人を追放し、人をかき集めて党を作っているのだ。意志を持たない人たちは、どんなな悪法にも唯々諾々、多数決のための員数となる。」と、指摘した。
さらに筆者は、「今、映画「ハンナ・アーレント」が評判を呼んでいる。アーレントは思考を放棄した凡庸な人こそが、ホロコーストに代表される20世紀の悪を生み出した元凶と喝破した。この映画を見たいと思う人々は、個人として生きるための支えを求めているのだろう。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「折しも、堤清二さんが亡くなった。品川正治さんに続いて、理念を追求する経済界の強靭な個人がいなくなり、途方に暮れる。どんな状況になっても、世の不条理に対決し、理念を貫く個人でいなければと、堤さんの訃報を聞いて、覚悟を新たにしている。」と、決意を込めて、締めくくった。
よんで、なるほどと思った、そして、自民党と公明党、みんな党その他賛成した議員は、連日の新聞報道を、見ているのだろうか?
見ていれば、賛成にしても、もう少し「自分の主張」があってもよさそうなものだが?筆者の言うとおり、自分の頭で考える能力を持たない烏合の衆なのだろうか?それとも、激しい選挙戦に力を使い果たし、自分でものを考える「力」が枯渇したのでしょうか?
だとしたら、こんな政府を作った、日本国民は不幸過ぎる。