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生きるため「家」を担保に <国民年金だけでは生活できない!?でも、さびしいなあー!>

 9月20日付東京新聞朝刊26面に、「新貧乏物語 年金プァ⑥」と言うシリーズがある。これで終わり、と末尾にある。
 今日はこの記事を学習することにした。
まず記事は、「緩やかなカーブを描くサルスベリの飾り木が、和室の風情を引き立てる。
 中部地方の町。田園に囲まれた一軒家。
「自分で建てた」。山岸茂さん(64)=仮名=が照れくさそうに言う。
 築30年余。大工だった山岸さんが立てた自宅には、見えない天井裏にもこだわりがある。豪雪が降り積もっても、地震に襲われても、耐えられるほど細かく組んだ梁。
 「三代は、もつ」。そう胸を張るが、山岸さんはこの家と土地を担保に老後の暮らしを支える資金を調達しようとしている。
 「リバースモーゲージ」と呼ばれる貸付制度。
 低年金などで審査が通らず銀行からお金を借りられない高齢者は、不動産を担保に入れることで自治体や社会福祉協議会から融資を受けられる。生活費を借りつつ自宅に住み続けられるが「借金のかた」となった家と土地の所有権は、死後行政などの手に移る。」と教えてくれる。
 続けて記事は、「10代から大工ひとすじ。景気の浮き沈みはあったが、山岸さんは貯金をし、国民年金も欠かさず収めてきた。「70ぐらいまで働いて、蓄えと年金で何とか暮らしていけるかな」。でも、ぼんやりと思い描いていた将来のプランは、50代半ばで早くも崩れた。
 ぎっくり腰のような症状に悩まされ、脊椎の病気と診断された。背骨が緩んでずれてしまい、神経を圧迫していた。手術を重ねてボルトで固定したものの、歩くのもおぼつかなくなって収入を断たれてしまった。
 そのころに再婚同士で結婚した妻(67)と二人。
仕事ができなくなってから生活費に充ててきた貯金がなくなり、今年5月から月12万円ほどの生活保護を受けている。
 65歳になる来年から月7万円ほどの年金がもらえるが、生活保護を受けなければ、自分と妻は暮らせない。
 「人さまの税金だから、保護を受けるのは申し訳ない」。軽作業でもいいから働きたい。でも、高齢で仕事が見つからない。最後に頼ろうと決心したのが、保護申請の窓口で聴いたリバースモーゲージだった。」、と教えてくれる。
 最後に記事は、「一度目の結婚は約30年前、自宅が完成して間もない頃だった。娘が二人。小学生のころ、よく近くの公園へ連れて行き、手をつないで一輪車の練習をした。上手に乗れるようになったころ、離婚。親権を失った子どもたちに最後に会ったのは、もう20年以上も前だ。
 祖父から父、そして自分まで三代受け継いだ土地に、子供と孫の代まで住めるように建てた頑丈な家。鴨居に、祖父母と両親の遺影が並んでいる。それを見上げて山岸さんはつぶやいた。「代々続くと思っていただろうけれど、もうこの家を継ぐもんも、おらんから」
 夫婦が亡くなれば、この家も土地も他人のものになる。
 年金だけでは暮らせない自分と妻が、これから生きる分だけ受け取れる融資の査定は山岸さんが65歳になる来年の春に始まる。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 自己所有の住まいはあるが、国民年金だけでは暮らしが成り立たない。ならば生活保護に頼るしかないが、資産としての「家と土地」があると、生活保護は出にくい。ならば、早めに「リバースモーゲージ」と言う貸付制度を利用するしかない。
 「生活費を借りつつ自宅に住み続けられるが、「借金のかた」となった家と土地の所有権は、死後、行政などの手に移る。」とのこと。生活保護を受けるよりも、気持ちの負担が少ないかもしれない。融資の査定額によっては、途中で生活保護を受けなければならない[状態]になるかもしれない。
 こんな不安を抱えた老後を解消するためには、人の一生に渡っての負担「税金・保険料等の収入」と一生渡っての給付「教育費・医療費・介護費・生活費」についてのバランスを「国家単位」で確立する必要がある、と思った。
 昔言われた、揺りかごから墓場まで、安心な暮らしが今危機に瀕していることを改めて知った気がした。
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# by sasakitosio | 2016-09-30 06:02 | 東京新聞を読んで | Trackback

キツネとタヌキ <日本の政治は動物園の世界ですか?木の葉をお札に変えないでね!!>

 9月28日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」と言う欄がある。筆者は、文芸評論家・斎藤美奈子氏だ。
 今日は、この筆者にまなぶことにした。
 まず筆者は、「衆院本会議の代表質問に民進党の野田佳彦幹事長(というか前首相)が立っている。
 ものすごく不思議な光景である。
 思い起こせば2012年11月。この方が敵に塩を送るような解散に踏み切ったおかげで、今日安倍政権ができたのだ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「野田幹事長(前首相)はまた「攻める者を攻めきれず、守るものを守り切れていない」と言う理由で、TPP(環太平洋経済連携協定)承認に反対するとの立場を示した。
 ちょっと待ってよ。
 タヌキに化かされたような気分である。
 TPPといえば11年11月、この方がTPPへの交渉参加を表明したのが騒ぎの発端ではなかった?
 当時は野党だった自公もTPPには反対だったはず。JAなどによる」反対運動が最も激しかったのも、野田政権の時代だった。それが安倍政権発足以降はなし崩しとなり、5年後には攻守逆転、主張も逆転。」と指摘した。
 最後に筆者は、「確かに現在では、米大統領候補のクリントン氏もトランプ氏もTPPに反対している。
米在住の友人に「「そっちの市民はTPPに反対なの?」と質問したら「当たり前でしょ。あんなのに賛成するのは 一部の他国籍企業だけだわよ」と一蹴された。が、クリントン候補も当選後には態度を変えかねないそうで。
 あっちもこっちも化かし合い。私もTPPには反対だけど、なんとなくバカにされた気分。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「ものすごく不思議な光景である」と筆者は、野田佳彦幹事長(というか前首相)が代表質問に立っていると見ている。
 自分が期待して投票した「民主党政権」の崩壊のA級戦犯が、幹事長になる民主党に違和感を感じていたが、恥ずかしげもなく代表質問にたつ野田佳彦氏の感覚も理解できない。
 「ちょっと待ってよ。タヌキに化かされたような気分である」と筆者は、「TPPの攻守逆転、主張も逆転」を、そのように受け止めている。
 民進党の政権復帰は難しいかもしれない、と思った。
 与野党とも、政党の自壊現象が起きているのだろうか?
 政党が無くなった後の、民主的統治の思想も組織も見えないが?
 
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# by sasakitosio | 2016-09-29 06:45 | 東京新聞を読んで | Trackback

15歳から納め増額、逆に不安増すなんて <生活保護の打ち切りで!?>

 9月18日付東京新聞朝刊30面に、「新貧乏物語 年金プァ⑤」というシリーズがある。
 今日はこの記事を学習することにした、
 まず記事は、「九種類の錠剤を机に並べ、沢井武さん(65)=仮名=ため息をつく。奈良県内にある借家でひとり暮らし。高血圧と心不全を抑える薬を水で流し込み、「倒れたら、どないなるんやろう」とつぶやいた。
 今年2月に65歳になり、毎月の年金が約13万5千円に増えた。体を壊して働けなくなり、4年前から前倒しで受け取っていた約7万円の厚生年金に、65歳から支給される約6万5千円の国民年金が加算される。
 一人で暮らすには十分な額かもしれない。でも、沢井さんはむしろ、もらえる年金が多くなったことで、先の生活への不安が増した。」と切り出した。
 続けて記事は、「 65歳になるまでの2年間、生活保護を受けていた。
 転職を重ねた末、47歳から働いたプラスチック加工会社を腰を痛めて61歳で退職。14年分、約140万円の退職金は、他界した両親が残していった介護費用の借金返済に充てた。
 両親への生前の仕送りで、十分な貯金は無かった。
 蓄えが無くなり、前倒しの年金だけで暮らせなくなって、やむをえず頼ったのが生活保護だった。
 持病がある沢井さんにとって、生活保護は病院に通うための命綱でもあった。
 医療費や薬代の自己負担分が全額免除されるからだ。「ありがたかった」。
 だが、年金増額による保護の打ち切りと同時に、その恩恵を失った。
 今、手元に入る額は保護を受けていたころに比べ、月に4万円ほど多い。ただ、自己負担に切り替わった薬代だけで出費が1万円ほど増えた。
 医療費と同じように免除されていた月額約5千円の介護保険料の支払いも再び始まった。さらに、生活保護で棚上げされていた国民健康保険の滞納金の支払い義務も発生。滞っている保険料の残額は延滞金も含めて20万円余り。毎月7千円づつ収めることで、役所はようやく納得してくれた。
 毎日飲む錠剤をもらうため、月に一度の病院通いが欠かせない。沢井さんの保健証は、保険料の滞納者に市町村が発行する「短期保険証」。
 通常の国民健康保険よりも短い二か月半しかない。
 以前は有効期限5カ月の保険証を渡されたが、半分に減らされた。役所の職員は「さらに滞納が長引けば、保険証そのものを没収することがあります」と言う。
 払わなければいけないことは分かっていても、更新に行くたびに「お金を返せ」とせかれているようで、切なくなる。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「 15歳のときに鉄工所で働き始め、61歳で倒れるまで46年。必要な分の年金は欠かさず収めてきた。
「老後の為とだと思って払ってきたけれど、65歳になって逆に不安が増すなんて・・」
 後ろめたさを感じても、生活保護をもらっていた時の方が安心して暮らせた。「一生懸命働いてきたのに、なぜこんな老後になってしまったのか」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
  「今年2月65歳になり、毎月の年金が約13万5千円位に増えた。」、
 「65歳になるまでの2年間生活保護を受けていた」、
 「生活保護は病院に通うための命綱であった。医療費や薬代の自己負担分が全額免除されるからだ。」
 「年金増額により、保護の打ちきりと同時に、その恩恵を失った。」、
 「生活保護で棚上げされていた国民健康保険の滞納金の支払い義務も発生」、
 「保険料の滞納者に市町村が発行する「短期保険証」。有効期限は、通常の国民健康保険よりも短い2カ月半しかない」、等々を知った。
 また、「後ろめたさを感じても、生活保護をもらっている時の方が安心して暮らせた」との声は、考えさせられる。生活保護が年金の増額よりも、暮らしの安心のささえになるということは、なぜだろう?自分的には、自由に使える「年金」の方が、制約のある「生活保護費」より、気持ち楽なような気がしているが?
 それにしても、老後に安心を与える「生活保護制度」の大切さが改めて分かった。
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# by sasakitosio | 2016-09-28 06:45 | 東京新聞を読んで | Trackback

病気で一転 無職に 預金頼み 崩れた人生設計 <若いときは元気が永遠に続くと思っていたが?・・・>

 9月18日付東京新聞28面に、「新貧乏物語 年金プァ④」という欄がある。
 今日はこの記事を勉強することにした。
 まず記事は、「今年のゴールデンウイーク。東京下町にある銀行のATMで、神谷隆司さん(42)=仮名=は絶句した。百万円ほど入っているはずの口座から、なぜか預金がおろせない。
 財布の残りは千円。買い置きの即席ラーメンで食いつないだ連休明けに、銀行から電話があった。
 「区民税の滞納のため口座が差し押さえられました。
 慌てて駆け込んだ区役所で、職員に抗告げられた。
 「税金だけでなく、年金も滞納していますよ」」と切り出した。
 続けて記事は「コンピューターグラフィックス(CG)の専門学校を卒業して、23年。神谷さんは過去に4年分の年金しか払っていない。老後に年金を受けるためには最低25年の支払いが必要だが、今はその余裕がない。区民税の半分を預金で払い、残りを毎月分納するだけで精いっぱいだ。
 神谷さんが社会に出た1993年。企業が新卒採用を減らし始めた中、学生時代からアルバイトをしていたCGの制策会社にそのまま雇われた。
 身分は嘱託社員。給与明細をみて厚生年金が引かれてないことに気づいていた。でも、「その分、手取りが増えるからいい」と思っていた。
 30歳を過ぎたとき、取引先の男性に「独立して会社をつくる。来ないか」と誘われた。
 非正規雇用での転職。
 入社時に「保険も年金もない」と言われたが、気にしなかった。まだ若く、職員による保険料の流用など社旗保険庁(当時)のたび重なる不祥事で、年金そのものへの不信感も募っていた・
 貯金があれば年金がなくても老後は困らない。そう思って毎月積み立てて、残金は5百万ほどあった。その暮らしが崩れたのは、2年前。40歳の冬、神谷さんは異変に襲われた。
 パソコンを保護するために冷房を効かせた職場で、突然汗が吹き出した。走ってもないのに、まるで走った後のよう。首に巻いたタオルをしばらくして絞ると、ぬれた雑巾のように汗がしたたり落ちた。
 ストレスによる全身性多汗症。2カ月ほどたったある日、社長に呼ばれ、「仕事、続けられないね」と肩をたたかれた。
 「取引先から「すごい汗かいてるけれど、何なの」とささやかれていることも人づてに聞いた居づらくなった神谷さんは、自ら退社した。
 生活のためにパソコン部品の梱包のアルバイトを始めたものの、一日で「もう来なくていい」。
 作業中に汗が垂れ、商品を入れる段ボール箱がぬれてしまう。それから同じようなアルバイトを三つ。
 いずれも汗が理由で長く続かず今年1月から無職になった。」と教えてくれる
 最後に記事は、「心臓内科に月2回通う以外、ほとんどの時間を部屋で過ごす日々。
 家賃や生活費、区民税の支払いで数十万に減った貯金は、そこをつく日が迫っている。アルバイト時代の確定申告で追加請求された約20万円の支払いも滞ったままだ。
 「料金を払わなければ止められる電気や水道とはちがうから、何十年も先の年金を気にして来なかった」。
 病気になって初めて抱いた不安。税金も年金もきちんと払いたい。
 「必ず治る」。
 医者はそう言ってくれても、いつなのかは分からない。20年後、30年後の暮らしを考えたいが、今は来年の自分さえ想像できずにいる。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「40歳の冬、神谷さんは異変に襲われ」、
 「ストレスによる全身性多汗症になり」、
 「同じようなアルバイトを三つ。いずれも汗が理由で長く続かず、今年1月から無職になった」、
 「料金を払わなければ止められる電気や水道とは違うから、何十年も先の年金を気にしてこなかった」、
 「病気になって初めて抱いた不安」、
 「20年後、30年後暮らしを考えたいが、今は来年の自分さえ想像でき時にいる」、等々の若者の現実を知ることができた。この若者が、一日も早く健康を回復し、働ける日が来ることを祈りたい。
 70歳の今も、仕事が続けられて、家族が元気でいられること、これらはすべて自分の努力ではなく、ただ運がよかっただけなんだな、と思っている。
 見えない先の不運に出会った時の、先人の知恵が「保健と年金」だと、あらためて感謝している。
 
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# by sasakitosio | 2016-09-27 19:50 | 東京新聞を読んで | Trackback

「公平」の下 弱者いじめ 特養の老母負担増 <公平は、負担減・給付増の方へ、としたいねえー!?>

 9月15日付東京新聞朝刊28面に、「新貧乏物語 年金プァ③」というシリーズがある。
今日はこの記事を学習するすることにした。
先ず記事は、「「おやつ食べようね」
 耳に顔を近づけて語りかける職員に、キヨさん(98)=仮名=が低く「んー」と返した。
 岐阜県内にある特別養護老人ホーム。
 何度か名前を呼ぶと、車いすの上で「あい」と返事をする。しわに囲まれた口が開くその時を逃さず、職員がスプーンを滑り込ませる。
 おやつはヨーグルトとアイスクレーム。
 近くに住む次女(68)が面会のたびに届けている。
 自身も高齢で足腰が弱ってきたが、週に一度、母の元に通う。「施設におやつを頼むと、高くつくって聞いたから」
 キヨさんが特養に入って5年。介護にかかる費用は、キヨさん本人が受け取る年金から次女が払っている、月に10万9千8百33円を受給し、施設へ7万989円。残りの3万9千円ででおやつや生活用品を買い、いつか訪れるキヨさんの葬儀費用もここから積み立てた。
 だが、今年8月、母のために使えていたこの「差額」が、半分以下の約1万6千に減った。国による介護保険制度の見直しで、施設利用料の負担額が2万円以上引き上げられたからだ。」と、切り出した。
 続けて記事は、「キヨさんがもらっているいるのは、遺族年金がほとんど。働き手だった夫を亡くした女性の生活を保障する年金で、福祉的な意味合いから法律上は非課税だ。
 ところが、8月の見直しでは税金がかかる「収入」と同等の扱いになり、これにより入所者の負担額が月7千~3万ほど上がった。
 次女自身、収入は月12万円の年金だけ。その年金から、生活苦の親類にたびたび援助している。エアコンは控え、冬でも風呂はためずにシャワーで済ませる。切り詰めても生活はぎりぎりで、特養での母の生活費にお金を回す余裕はない。
 「施設に入れてしまって申し訳ない」。
 次女はそんな思いも抱えている。幼いころ、父は家に一切お金を入れなかった。雑魚寝の部屋で夜中に目を覚ますと、薄暗い中で母が内職に励んでいた。自分は未婚を通して母を大事にしてきたが、高血圧で病院に通うようになった今、在宅で世話をする自信はない。
 負担増に疑問や不満を感じても、次女はそれを押し殺している。
 「特養以外、いさせてあげられる場所はない。だから強くは言えない」。
 ただ、入所者や家族の姿を見ている施設長(60)は「弱い者いじめだ」と思いを代弁する。
 この特養では、入所者の3割に当たる30人が負担増を強いられた。いずれも遺族年金か、同じく非課税の障害年金の受給者。
 厚生労働省は見直しの理由を「ほかの年金受給者と負担を公平にするため」と説明し、年間130億円の介護費削減を見込む一方で、全国で何人に影響したのかは明らかにしていない。」と、教えてくれる。
 最後に記事は、「8畳ほどのキヨさんの居室。一日のほとんどを過ごすベットの脇の壁に、ピンク色の紙が貼ってある。次女が書いた家系図。子、孫・・と連なり、ひ孫だけで14人。「もう誰の顔もわからないでしょうね」
 少しずつ表情が無くなり、好きだった童謡も歌えなくなったキヨさんはきっと、施設の料金が上がったこともしらない。増額されて初めての請求書は「敬老の日」がある今月半ばに送られてくる。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 今年8月、「国による介護保険制度の見直しで、施設利用の負担額が2万以上引き上げられた」とのこと、
 遺族年金が非課税だったのが「8月の見直しでは税金がかる「収入」と同等の扱いになり、これにより入所者の負担額が月7千~3万円ほど上がった。」とのこと、
 「この特養では、入所者の3割に当たる30人が負担増を強いられた。いずれも非課税の遺族年金か、同じく非課税の障害年金の受給者。」とのこと、
 「年間130億円の介護費削減を見込む」とのこと、
 等々を初めて知った。
 厚生労働省の「ほかの年金者と負担を公平にするため」との説明は理解できても、病気や介護の必要なときは、「ほかの年金者」も非課税にして、「負担の公平」を計るという「思想」はないものだろうか。理屈はあっていても、心が寂しくなる結果のような気がする。
 心身的も経済的にも、本当に困った時に、当てにできる「制度」を「今日のわれわれ日本人の社会・経済」は創れないのだろうか。いや、作れるはずだ、それは為政者につくる気がないだけではないか、そんな気がしてならない。
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# by sasakitosio | 2016-09-26 05:55 | 東京新聞を読んで | Trackback

戦争と平和をつなぐために <手だてとして、戦争と平和の貸借対照表・財産目録が欲しいなあ?>!

 9月23日付朝日新聞社説の下に、「社説 余滴」と言う欄がある。筆者は、国際社説担当・沢村亙氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「戦争の理不尽さは、はるか時空を隔てた平和な社会に果たして伝わるだろうか。戦争を体験した者たちが、しばしば発する自問である。
 写真一枚、動画一遍が多くの人々の胸を揺さぶることはある。
 戦火を逃れる途中でおぼれ、海岸で息絶えていた男児。
 空爆後にほこりまみれで助け出され、血だらけで茫然とする男児の姿は瞬時に地球を巡り、政治を動かした。
 短パンにスニーカー、人気アニメのTシャツ。あのシリア人の男の子たちの姿は、平和な世界にいる子どもたちとなんら変わりがなかった。
 現実の戦争ははるかに醜悪なのでは、との声はある。
 だが、ネットにあふれる悲惨な映像以上に、戦争を「わがことと」として訴えかけた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「この夏、「ワタシが難民だったら」と題して東京で開かれた子供向けの催しも、戦争と平和の「距離」を縮める試みといえた。
 「今すぐ隣国の難民キャンプに歩いて行かなければなりません。持ち物を7つだけ選んで」。水、薬、スマホが描かれたカードを手際よく選ぶ女の子。
「枕はいるかな」と首をひねる男の子。
 遠足気分の子供たちも「パパとはぐれた。どうする?」キャンプが満員。家に戻る?別の国に行く?」と、重い選択を迫られて次第に表情が真剣に。
 「遠い国のかわいそうな子供の話ではないことを感じてもらえれば」。
 主催したNGO「難民を助ける会」の担当者は話した。
 「時間」を埋めるすべはないものか。ベルリンで訪れた市民団体にヒントを得た
 その団体はナチス統治下から冷戦終結までの
各時代の証言者を、学校の歴史教育や企業研修に紹介する。ただし、必ずしも劇的な体験をもたない市井の人々だ。
 「日常の細部を話してもらう。自分があの時代に生きていたなら、どう振る舞ったか。
例えばユダヤの排斥にあらがえたかを考えるきっかけになる」と説明された。現代との「地続き感」を失わない工夫と理解した。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、日本でも戦後70年の節目を挟んで戦争や歴史が盛んに語られた。近隣国との緊張も手伝って、「どの国の歴史認識が正しいか」と優劣を競うかのような言説も飛び交った。
 むしろ克服すべきは「他者との競争」ではなく、「いかに時空の壁を越えて「わがこと」にするか」ではあるまいか。
 もちろん「国家」に任せる話ではなく、一人一人が向き合う営みとして。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「戦争の理不尽さは、はるかに時空を隔てた平和な社会に果たして伝わるだろうか。戦争を体験した者のたちが、しばしば発する自問である」との指摘は良く分かる。戦中に生まれ、しかも蒲原平野の小さな農村に生まれた者として、戦後のモノ不足を子供ににも孫にも全く伝えきれていない。それは、伝える側の発信力の問題より、受ける側の受信装置に問題がにあるように思えてならない。
 だから、戦争の理不尽さを知らせるよりも、戦争による暮らしの中の損得勘定を、事細かに知らせる。
 戦争によって、敵味方の双方に、一時的に得をする少数の人がいても、圧倒的多数の人が命や友人や家族を失い、家や家財や金銭を失い「大損」をするということならば、戦争を体験した人から、今の平和な社会に生きる人に伝わるし、伝えられるのではないだろうか?
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# by sasakitosio | 2016-09-25 17:45 | 朝日新聞を読んで | Trackback

「新貧乏物語 年金プァ②」  職人の妻 遺族年金対象外 身削り53年働いたのに 

 9月14日付東京新聞朝刊に、「新貧乏物語 年金プァ②」というシリーズがある。今日はこの記事を学習することにした。
まず記事は、「少ない年金だけでは墓石を立てられず、京子さん(75)=仮名=は今も夫の遺骨を仏壇に置いている。
 3年前の冬に78歳でなくなった夫と知り合ったのは、京子さんが18歳の時だ。6つ年上の夫は、京子さんが住み込みで家政婦をしていた名古屋市のちょうちん店に弟子入りしていた。
 翌年、「独立するから手伝ってくれ」と求められて結婚し、木造の長屋で朝から晩までちょうちんを作った。
 夫が竹ひごで編んだ骨組みに、京子さんが和紙を張る。
 一日200個。1964年(昭和39)年の東京五輪ではちょうちんの生産が全国的に追いつかず、二人で8000個を引き受けたこともある。
家では「お父さん」。でも取引先の前では仕事の口調で「旦那さん」。
 自営業の夫を妻が支えるのは「当たり前だ」と自分言い聞かせ、給料をもらったことはない。
 夫に渡された月8万円の生活費でやりくりし、3人の子どもを育てながら日付が変わるまで働いた。
 晩年、夫は肺がんが見つかっても仕事を続けたが、ちょうちんは売れなくなった。お盆などに飾る家が少なくなり、2011年3月の東日本大震災の後は、祭りが盛んな東北からの注文が減った。作っても売れず、材料費の赤字だけが膨らんだ。
 その穴を埋めるために、夫婦でつき2万円もらっていた国民年金をつぎ込んだ。
 余生を楽しむこともなく、店を守る金策に最後まで追われた夫は、目を見開いたまま自宅で倒れ、その10日後に亡くなった。残された京子さんには蓄えがない。夫の国民年金が打ち切られ、夫婦で53年続けた店をたたんだ後、京子さんがすがろうとしたのが遺族年金だった。
 ところが、手続の仕方を訪ねるために訪れた区役所で、職員は言った。
 「お支払できません」
 遺族年金は公務員やサラリーマンなどの遺族のために用意されており、自営業者は原則、対象から外れている。
 「若いころから税金も年金もまじめに収めてきたのに、1万円でも5千円でも、もらえないんですか」。
 窓口で思わず口を突いたが、職員は「そういう制度なんです」と頭を下げるだけだった。
 今京子さんが受け取る年金は月6万円。そこから10枚3400円のチケットを買い、たまに喫茶店でコーヒーを飲むのが唯一の贅沢だったが、同年代の常連客に言われたことがある。
「あなたの年金、私の半分よ」
 自分と同じように夫に先立たれたが、会社員の妻だったその女性は、遺族年金を合わせて月に約12万円もらっている。
 自営業者と会社員の遺族で、どうしてこれほどの差があるのか。
 厚生労働省年金局は「商店や農家には後継ぎがいるため、夫が高齢で亡くなっても世帯としての収入は途絶えないという考え方だ」と説明する。
 ただ、この考え方で国民年金が創設されたのは1961年。後継ぎの有無を含め、55年前と今とでは自営業を取り巻く環境が違う。
 一日に使うお金は500円。
 万一の病気に備え自分課している。
 痛みかけた半額の野菜を買って、食費を切り詰める。一人暮らしでは家賃が払えず、娘夫婦のマンションに居候している。
 「お父さんは死ぬまで働き、私も支えた。なのに、商売人と勤め人で老後がこんなに違うなんて・・・」
 食人の妻として身を削り、半世紀生きた。ちょうちんを作り続けた両手は指の関節が変形し、夫が亡くなった冬が近づくと鈍い痛みが増してくる。」として締めくくった。
 読んで、関係者の気持ちは、痛いほど分かった。
 国民年金に遺族年金が最初からないことを、被保険者に周知してなかったことと、もともと国民年金は定年のない人が対象であったのかもしれないが、支給額が安くて定額であった。制度ができて掛け金をおさめるときに、孫のこずかい用だ、との声が聞かれた。
 しかし、受給の段階になると、1961年の始まりから、世の中も変わり、年金の受給額が暮らしに役立つようになった。国民年金での遺族年金の問題も、今日の年金改革のテーマにしなければならないのかもしれない、と思った。
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# by sasakitosio | 2016-09-25 10:19 | 東京新聞を読んで | Trackback

介護費のため老々離婚 貯金なく生活保護で病の「妻」支え<新貧乏物語 年金プァ①>

 9月13日付東京新聞朝刊31面に、「新貧乏物語① 年金プァ」というシリーズが始まった。
 (取材班=青柳智敏、鈴木竜司、戸川祐馬、斎藤雄介)
 今日はこの記事を学習することにした。
 まず記事は、「やせ細って血管が浮き、自由が利かなくなった腕を優しくさすりながら、岩村勇さん(79)=仮名=が話しかける。
 「痛くない?」たとえゆっくりでも、寝たきりのベットで「う、れ、し、い」と答えてくれると安心するが、勇さんは戸籍上、その人をもう「妻」とは呼べない。
 同じ年齢の2人が見合いで結婚したのは、1961年(昭和36)年2月。愛知県にある町で喫茶店の店長をしていた勇さんは、上品で奥ゆかしい振る舞いに引かれた。結婚の2か月後、岸信介内閣が掲げた「国民皆年金」で国民年金制度が始まった。日本は高度成長に沸いていた。
 常連でにぎわう20席ほどの店に「年金の職員」と名乗る男性が訪ねてきたことを勇さんは今でも覚えている。
 男性は「新しい制度が始まります」と説明して店を出た。
 当時の年金の保険料は月額100円、コーヒー一杯が60円。
 勇さんは「大した額ではない」と思ったが、職員の説明は全員加入ではなく「希望者は入ってください」といっているように聞こえた。
 当時ニュースとなっていたはずの年金を、客と話題にすることもなかった。小さな喫茶店でも商売は順調で、勇さんも「働いて蓄えておけば大丈夫と考えていた。チェーン店やコンビニの数が増え、商いに不安を感じた妻に「やっぱりかけておきましょう」といわれるまで、年金を払ってこなかった。」と切り出した。
 つづけて記事は、「その妻の手が震え始めたのは平成に入ってから。二人が55才の時だった。
 診断結果はパーキンソン病。
 全身の筋肉が弱り、体の自由が奪われてゆく。10万人に百人といわれる難病で、原因はいまだに分かっていない。
 勇さんは一人で店に立ち、20年以上、妻を自宅で介護した。ただ、妻の身体は徐々に弱り、意識がもうろうとして入院するほど症状が悪化した。
 二人の子供は独立し、それぞれ家庭を持っている。
 「退院しても自分が面倒を見るのは難しい」。
 昨年の春、勇さんは妻を介護施設にに入れる決断をした。
 施設の利用料は、おむつ代を含めて毎月13万円。
 夫婦でもらえる国民年金の満額と丁度同じ額だ。
 だが、未納期間が長かった二人は月3万円づつ、あわせて6万円しかもらえていない。足腰が弱り、店を閉める日が多くなった勇さんには、月6万5千円の店の家賃ものしかかる。
 妻を自宅で介護していた時の出費で、預金は底を突いている。
 入居した翌月から施設への支払いが滞り、勇さんは昨年夏、役所を訪ねて生活保護を申請した。
 ところが収入が低くて貯金がなくても、自宅を資産とみなされて却下。
 そのとき、職員が「これは最後の手段ですが・・・」といいにくそうに説明したのが、妻との離婚だった。
 分かれて別々に暮らせば、資産がない妻は生活保護の対象になる。年金で足りない施設の利用料約10万円を、保護費として受け取れる。「仕方がなかった」。勇さんは離婚届を書くときに、自分に言い聞かせた。
 「これはお母さんを助けるための書類で、離婚届じゃない」
 枝のように細くなってしまったウデ。
 聞き取ることがやっとになってしまった言葉。
 「悲しいけれど、心で結ばれていれば大丈夫」。
 役所に届け出を提出して1年。
 勇さんは55年連れ添った「妻」に、自分たちが離婚したことを話していない。」と教えてくれる。
 最後に記事は、「老後を豊かにするための年金をもらっていても、貧困に陥っている高齢者がいる。
 低収入で将来への年金を払えない人もいる。
 19日の「敬老の日」に向け、年金を取り巻く実態に目を向ける。」として締めくくった。
 読んで、「年金プァ」のタイトルの意味が少しわかっような気がした。
 二人でもらえる国民年金月額13万円、これで老後を賄うとしたら、家賃を払わなくていい「住宅」がある、病気や障害・認知症で入院しない、夫婦二人とも生きている、等の条件が不可欠だ、ということが分かった。
 しかも、国民年金の保険料は個人払いなので、忘れがちで未納期間が発生しやすい。だから、未納期間があると、そうでなくとも少ない年金額が減額される。
 その不足は、生活保護を持って充てるしかない。当初から、国民年金の設計は「生活保護を前提」になされたのだろうか。当時の家族構成(大家族)を前提にして、家族の支え合えを前提にして制度設計され散るのかもしれない、と思った。時代が進み、核家族が普通になった今日では、老後の支えとして、不十分になったのかもしれない、と思った。
 それにしても、施設利用料のために離婚して、生活保護を受けることの辛さが、伝わってくる気がした。
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# by sasakitosio | 2016-09-25 06:36 | 東京新聞を読んで | Trackback

学問の土着化に誇りを <なんとなく泥臭さを感じるが、外来文化の昇華・骨肉化のことらしい?>

 9月23日付東京新聞23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「母校の同志社大学神学部から客員教授の肩書をもらい、後輩に神学を教えるようになった。
 それから、さまざまな大学の教師や学生と話す機会が増えた。現在、あちこちの大学が行っている英語を母語としない日本人教師が、英語に堪能でない学生に専門科目を英語で講義するという滑稽な事態に、即刻、終止符を打った方がいい。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「日本語で情報を伝達する場合に比較して、教師は3割程度しか情報を伝えられない。
 学生の理解度は、日本語と比較して2割だ。両者を掛け算すると日本語で講義するのに比べて、6%しか情報が伝わっていない。
 一部のアジア諸国や中東諸国で専門科目を英語で講義するのは、学問の概念や術語を自国言語に翻訳することができていないからだ。
 日本人は欧米の学問を土着化させ、日本語で専門科目の講義をできることに誇りを持つべきだ。
 英語授業は教育水準の低下を招く亡国の政策だ。
 英語については、別途、専門コースを作ればいい。」と指摘した。
 最後に筆者は、「同志社大神学部には英語に堪能で、米国で学位を取った教授が何人もいる。英語が上手な人ほど、日本語での講義を重視する。明治期に同志社が開学されたときは、専門科目は英語で教えられていたが、30年かけて学問を土着化させて、日本語での講義を可能にした。この伝統をまもりたい。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「日本人は欧米の学問を土着化させ、日本語で専門科目の講義をできていることに誇りを持つべきだ」との指摘、
 「英語が上手な人ほど、日本語の講義を重視する」との指摘、等々は理解し納得した。
 昔、「日本では、横のもの(英語その他欧米語)を立てに(日本語)に直すだけ「学者」になれる」との話しをきいて、日本人が世界に発する「学問」はないのだろうか、と考えたことを思いだした。
 また、年末年始の外国ひとり旅の準備をしていて、文献の多さに驚いた。ネットも含めて、調べたいことはすべて調べて出発し、現地で調べて目標にしていたこと以外の「人や遺跡や事物」を発見して、発見して感動している。これも、広い意味では外来文化の土着化の成果かもしれない、と思った。
 そして、日本では、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字の4種の文字を誰もが普通に使えることが、外来文化の昇華・消化を促進しているような気がしている。
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# by sasakitosio | 2016-09-24 07:21 | 東京新聞を読んで | Trackback

中学での社会的分断 多様性を高める進学制度に<フランスの話ですが・・・>

 9月21日付朝日新聞朝刊17面下段に、「ピケティ コラム」という欄がある。筆者は、1971年生まれ、パリ経済学校教授で、「21世紀の資本」の著者のトマ・ピケティ氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「学校が新年度を迎えるこの時期にこそ問いたい。
 フランス政府は社会的な多様性を高めることを本気で望むのか。それとも実態を伴わない宣伝にとどまるのか。
 公民教育省は2015年、中学校において社会階層ごとに分断される現象を減らすため、新たに実効ある措置を実施する意向を示した。だが残念ながら、今なおすべてがあいまいで、美辞麗句を現実に移そうと急ぐ様子はほとんどみられない。
 中学での社会的分断の度合いは、パリでは容認できない程に高まっている。社会的多様性に関する最新研究は私学の役割がカギになることを示す。
 さらに、生徒の進学先を振る分ける制度を、より公平で透明性の高いものにすれば、状況は目に見えて改善できるという点も強調されている。
 パリでは15年時点で8万5千人以上の生徒が175校の公立・私立中学に在籍した。
 私学が占める割合は年々増え、公立中115校に対し私学は60校。両親が労働者層・失業者・無職など社会的に恵まれないとされた子どもの割合は16%。
 中学が社会的多様性を完全に実施すれば、175の各校に恵まれない生徒が16%ずついる計算だ。
 だが、じっさいには最も上流階層の中学に、恵まれない生徒はほとんどいない。(1%未満)一方、反対の極には、恵まれない生徒の60%以上を占める中学がある。
 注目されるのは私学だ。恵まれない生徒がいない中学のほぼすべてが私学で、逆に恵まれない生徒が多数在籍する中学に私学は1校もなかった。私学は授業料がかかり最貧困層は入学できない。それ以上に、受け入れる生徒と受け入れない生徒とを私学は自ら選択できるためでもある。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「社会的多様性を本気で考えるなら、生徒の進学先を振り分ける共通ルールに私学を組み込むことが望ましい。公立校だけで推進しようとすれば、恵まれた家庭の生徒がますます私学に移っていく恐れが強い。
 選択の自由を剥奪される保護者や私学教師の憤慨する声が聞こえるようだ。
 だが巨額の公的資金で補助される以上、私学が共通ルールに従うのは当然だ。カリキュラムにはすでに共通ルールが適用されている。生徒の進路の振り分けもそうすべきなのだ。
 地域内格差への対策も必要だ。パリ市では西部および中央部の区には恵まれない生徒が少ない半面、北部、東部の区には集中している学校がある。世帯収入の中央値を調べると、居住地によって階層が極端に分かれるのがわかる。6万ユーロを超えるのは(パリ中央部・西武の)7.8.16区の中の最も恵まれた地域で、2万ユーロを下回るのは、(北部の)18区、(東部の)19区、20区の中の最も恵まれない地域だ。
 区の中の格差を詳しく調べることも大切だ。同じパリ18区でも2.3の通りを隔てただけで非常に不均衡がある。ジャラール・フィリップ中学の恵まれない生徒の割合は56%。徒歩でわずかに離れたモンマルトの丘のふもとのイボンヌ・ルタック中学は9%である。
 中学校で極端な社会的分断がみられるのは、居住地によって社会階層が分断されているためだ。現制度では、両親の住所で機械的に進学する中学が決まる。私学への生徒の流出で分断傾向はさらに強まる。
 状況を改善する方法はある。生徒を振り分ける共通の制度に公立・私学の双方を組み込むことで中学校における社会的多様性を大きく促進できる。別に中学生がパリ市内をはるばる移動する必要はない。パリという都市は非常に密着し、距離は短く、公共交通機関も整っている。登校時間を大きく増やさずとも分断の大幅軽減は可能だ。
 すべての中学に恵まれない生徒が10~20%、あるいは5~25%いる制度は考えられるのではないか。(現状の)「0.3~63%というのは論外だ。」と指摘した。
 最後に筆者は、「状況の改善は決して夢物語ではない。経済学者のグループが6月、「パリ首都圏の高校での社会的多様性に対するAffelnetとは、高校への進学振り分けにあたって、成績と志望のほかに、最も恵まれない生徒に「奨学生ポイント」を加算する制度だ。
 研究によると、07~08年度にAffelnetを用いたことでパリの高校で改善が実現した。社会的多様性が大いに進み、分断の度合いは34%低下した。
 完璧にはまだ遠いものの、Affelnetが社会的分断対策に有効であることが明らかになった。中学校にも応用できるだろう。
 ただし、この制度の限界から教訓を学ぶ必要もある。まず、公立校と私学の双方に適用しなければならない。
 さらに、奨学生ポイントの加算は、同じ学校を希望する奨学生があまりに多い場合など、社会的多様性の到達目標を超えた時点でやめるのが肝要だ。
 しかし教育省はAffelnetのこの根本的不具合の修正を拒み続けている。
 その結果、16年度の新学期に入学者の80%を奨学生が占める学校が出る。つまり社会的分断の度合いが改革前より大きくなってしまったのだ。
 こうした民主主義の根幹にかかわる問題に関する真剣な議論を教育省は受け止めるべき時だ。
 そして、生徒の進路振り分け制度につきまとう極度の不透明性に終止符を打つべきである。
 教育省が執拗に透明化を拒めば、制度への保護者と生徒の信頼は損なわれかねない。だが、この制度は社会の真の進歩を支えることもできるのである。」として締めくくった。
 読んでフランスの一つの現在事情を知る上で勉強になった。
 筆者の指摘で、
 「中学での社会的分断の度合いは、パリでは容認できないほど高まっている」とのこと、
 「パリでは15年度時点で8万5千人以上の生徒が175校の公立・私立中学に在籍した。私学の占める割合は年々増え、公立中115校に対し私学は60校。」とのこと、
 「実際に最も、上流階層の中学に、恵まれない生徒はほとんどいない(1%未満)。一方、反対の極には、恵まれない生徒が60%以上を占める中学がある」とのこと
 「恵まれない生徒がいない中学のほぼすべてが私学で、逆に恵まれない生徒が多数在籍する中学に私学は1校も無かった。」とのこと、等等を知ることができた。
 パリでは、中学校からの社会的分断の度合いの高まりが、若者がテロを起こす原因にもなっているのかなあ、と思った。
 官民の格差について、日本で感じたのは、東京圏と大阪圏では、旧国鉄の駅よりも私鉄の駅が繁盛していたことだ。はじめて関西へ行った時に、カルチュアショックを感じたことを、思い出した。
 また、日本では、教育の場で、周囲をみわたして、社会的分断が起きていないように思うが、どうだろう。
 
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# by sasakitosio | 2016-09-24 06:46 | 朝日新聞を読んで | Trackback