3月17日付け東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」と言う欄がある。筆者は、現代教育行政研究会代表・前川喜平氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「同性婚を認めない民法などの規定を違憲と断じた14日の札幌高裁判決。
注目すべきは「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し・・・」と定める憲法24条1項の解釈だ。
同項が同性婚を禁止しているとする一部論者の解釈とは正反対に、「同性間の婚姻も異性間と同じ程度に保障している」と解釈した。
続けて筆者は、「同性婚は、2001年のオランダに始まり、各国で法制化されてきた。
日本の国会で同性婚を認めない政党は自民党だけだ。国民の6割から7割は法制化に賛成している。日本人が人権後進国なのではない。自民党が人権後進党なのだ。
人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果(憲法97条)だ。
フランス人権が採択されたのは1789年。
女性参政権が初めてニュージランドで認められたのが1893年。
生存権が初めてドイツのワイマール憲法に規定されたのが1919年。
アメリカの連邦最高裁が人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めたのが1973年。それを否定したのが2022年。フランスでは今月、中絶権の保障が憲法に書き込まれた。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「過去幾多の試練に耐え(憲法97条)、人権の観念は時代とともに進化してきた。時に強い反動に見舞われ、行きつ戻りつしながらも、人権思想は普遍性を高めていくだろう。人権の進化は人類の進歩である。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「同性婚を認めない民法などの規定を違憲と断じた14日の札幌高裁判決。」とのこと、
「同性婚は、2001年のオランダに始まり、各国で法制化されてきた。」とのこと、
「フランス人権宣言が採択されたのが1789年」とのこと、
「女性参政権が初めてニュージランドで認められたのが1893年。」とのこと、
「生存権が初めてドイツのワイマール憲法に規定されたのが1919年。」とのこと、
「アメリカの連邦最高裁が人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めたのが1973年。それを否定したのが2022年。」とのこと、
「フランスでは今月、中絶権の保障が憲法に書き込まれた。」とのこと、
等々を知ることができた。
そして筆者は、「過去幾多の試練に耐え(憲法97条)、人権の観念は時代とともに進化してきた。時に強い反動に見舞われながらも、人権思想は普遍性を高めていくだろう。人権の進化は人類の進歩である。」と指摘した。
指摘の理解に努めながら、考えた。
同性婚の容認、女性参政権の容認、生存権の誕生、人工妊娠中絶の容認、等々人間の行為を規制していたものが撤廃されてきたことは確かだ。筆者の指摘するように「人権の進化は人類の進歩である」だと思った。そして、個人としては私は、保障された人権のうえにただ座っているだけでなく、日々自他の人権の進化についてキョロキョロし学ばなければ、と思った。
3月17日付け東京新聞朝刊社説横に、「時代を読む」と言う欄がある。筆者は。東京大学教授・宇野重規氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「宮本常一(1907~81年)という民俗学者がいる。山口県の周防大島に生まれ、小学校教諭時代に地域のフィールドワークを志し、病身をおして日本各地を歩き回った。渋沢栄一の孫である渋沢敬三の支援を受けたとはいえ、在野の立場で生涯にわたり調査を続けた彼の偉業を敬慕し「忘れられた日本人」に代表される著作を愛好する読者もすくなくないだろう。「旅する巨人」(佐野真一)と呼ばれるのも決して不思議ではない。
ところで最近、宮本の「忘れられた日本人」を再読し、あるいはこれは「民主主義の教科書」なのではないかと思うようになった。きっかけがある。編集者の若林恵さんと宮本研究者の畑中章宏さんの近著に「「忘れられた日本人」をひらく」があるが、その出版イベントになぜか筆者が呼ばれたのである。宮本の著作に民主主義を考えるヒントが隠されているというのが、企画側の意図であった。」と切り出した。
続けて筆者は、「とはいえ、宮本が日本を歩き回ったのは、戦前の1930年代から高度経済成長期にかけての日本の諸地域である。はたしてそこに民主主義を考える上でのいかなるヒントが隠されているのか。少々不思議に思いながら、依頼に応じることにした。
そこで「忘れられた日本人」を読み直したのだが、なるほど、これは日本における民主主義のあり方を示していると思うようになった。
決して否定的な意味ではない。しばしば民主主義は欧米の先進国から「輸入」されたものだと語られるが、伝統的な日本社会に民主主義的な慣行や実践が存在しなかったわけではない。
宮本の著作は雄弁にそのことを語っているように思えた。
例えば、そこでは「寄合」の事例が紹介される。宮本が村の古文書の利用を依頼したところ、寄り合いが召集されたが、それが実に面白い。
参加者は延々と議論を続ける。ときに話題はそれ、やがて戻ってくる。必ずしも理屈を言うばかりでなく、それぞれが知っている事例なども次々に紹介される。ご飯を食べに帰る人もいれば、夜通し話し続ける人もいる。大切なのは無理せず、みんなが納得するまで話し合うことであった。だから結論が出れば、みんなキチンと守る必要がある。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「これだけ読むと、あまりに気が長く現代的ではないという人もいるだろう。
しかし、すべての人に発言権があり、思い思いのことを話し、納得するまで話し合う。だから決定にも従う責任がある。これは確かに民主主義の本質であろう。読んでいくと、かってなことを言う人がいれば「足もとを見て物を言いなされ」と古老が注意したり、女性たちだけで集まって男性たちへの不満を言い合ったりする機会もあった。
このような寄り合いが発展したのも、限定された特定の家系だけが力を持つ地域ではなく、多様な背景の家族の集住する地域であったというのも興味深い。多様な人々が共に暮らすからこそ、平等性が重要であったということだろう。
女性を含む村人に、村の外へ旅行し、「世間を拡げる」ことが奨励されたというのも驚きである。
民主主義ついて、伝統的な日本社会から学ぶことは意外に多いのかもしれない。
むしろ現状はそこから後退しているかもしれない。そんな気がした。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「宮本常一(1907~81年)という民俗学者がいる。」とのこと、
「編集者の若林恵さんと宮本研究者の畑中章宏さんの近著に「「忘れられた日本人」をひらく」があるが、その出版イベントになぜか筆者も呼ばれたのである。宮本の著作には民主主義を考えるヒントが隠されているというのが、企画側の意図であった。」とのこと、
「そこで「忘れられた日本人」を読み直したのだが、なるほど、これは日本における民主主義のあり方を示していると思うようになった。」とのこと、
「しばしば民主主義は欧米先進国から「輸入」されたものだと語られるが、伝統的な日本社会に民主主義的な慣行や実践が存在しなかったわけではない。宮本の著作は雄弁にそのことを語っているように思えた。例えば、そこでは「寄合」の事例が紹介される」とのこと、
「すべての人に発言権があり、思い思いのことを話し、納得するまで話し合う。だから決定にも従う責任がある。これは確かに民主主義の本質であろう。」とのこと、
「このような寄り合いが発展したのも、限定された特定の家系だけが力を持つ地域ではなく、多様な背景の家族が集住する地域であったというのも興味深い。」とのこと、
等々を知ることができた。
そして筆者は、「民主主義について、伝統的な日本社会から学ぶことは意外に多いのかもしれない。むしろ現状はそこから後退しているかもしれない。そんな気がした。」と指摘した。
指摘の理解に努めながら、考えた。
戦中生まれの一読者の私も、民主主義は敗戦後にできた日本国憲法により誕生し守られてきた、と思ってきた。
この欄を読んで、戦後まもなくの私が小学生であったころ、私の家の茶の間に部落の人々が集まって「寄合」をし、その後食事会をしていたことを思い出した。今思うと、みな自由にのびのび話し合いが行われていたと思う。
また、趣味の講談で「二宮金次郎」を調べた時、農民たちの話し合いを「芋こじ」tと名付けていろいろな場面で活用したということを知った。その「芋こじ」でしたことは、「・村長を村民の投票で決める・お手本おなるような農民を投票で決める、選ばれた人は利息なしでお金を借りられた・地域のことについて、みんなで話し合うことを大切にする」等を知って、これって民主主義じゃんと、思った。
そしてこの欄で、宮本常一の存在を教えてもらい、日本国憲法以前に日本に民主主義の「芽」が存在していることをしり、日本大好き人間の私は嬉しくなった。
3月16日付け東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」と言う欄がある。筆者は、文筆家・師岡カリーマ氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「アラブ人がよく口にする慣用句に、「罪より醜い言い訳」というのがある。
使い方の例としては「自民党議員の会合に露出の多いダンサーが招かれた不祥事について、多様性をめぐる問題提起が目的だったと弁解するなんて、罪より醜い言い訳だ」などが挙げられる。」と切り出した。
続けて筆者は、「いや違うかも。確かに滑稽すぎて目を疑う弁解だが、目を覆いたくなるほど醜いのは、やはり罪の方だ。党は今、裏金問題の泥に溺れている。
党総裁は「信頼回復」と繰り返す。そういう時に会合にダンサーを招く神経も、体に触って
口移しでチップを渡す下劣さも、想像するだけで醜い。
最近の自民党はまた、以前にも差別発言が問題になった議員が、人権状況の改善を求めるアイヌ関係者を「日本に存在しない差別を話す人たち」と書き込んで再び中傷したことが報道された。
個人的な経験から言えば、差別される側は一度や二度の理不尽を即座に「差別」と意識するわけではない。それが繰り返されたり、その際に出自を指摘されたりする体験が蓄積されて初めて、差別されているという痛恨の気づきにに至る。声を上げて差別を訴えるのは苦痛だ。楽しくてやる人はいない。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「差別する側の多数派に属する人には見えない、またはみようとしない差別は、存在しない差別ではない。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「アラブ人がよく口にする慣用句に「罪より醜い言い訳」というのがある。」とのこと、
「使い方の例として、自民党議員の会合に露出の多いダンサーが招かれた不祥事について、多様性を巡る問題提起が目的だったと弁解するなんて、罪より醜い言い訳だ」などが挙げられる。」とのこと、
「党総裁は「信頼回復」と繰り返す。そういう時に会合にダンサーを招く神経も、体に触って口移しでチップを渡す下劣さも想像するだけで醜い。」とのこと、
「最近の自民党はまた、以前にも差別発言が問題になった議員が、人権状況の改善を求めるアイヌ関係者を「日本には存在しない差別を話す人たち」と書き込んで再び中傷したことが報道された。」とのこと、
等々を知ることができた。
そして筆者は、「個人的な経験から言えば、差別される側は一度や二度の理不尽を即座に「差別」と認識するわけではない。それが繰り返されたり、その際に出自を指摘されたりする体験が蓄積されて初めて、差別されているという痛恨の気づきにいたる。」と指摘し、
「差別をする側の多数派に属するひとには見えない。または見ようとしない差別は、存在しない差別ではない。」と指摘した。
指摘に賛同しながら、考えた。
この欄でいつもアラブ人の習慣や文化について、発見させられる。「罪より醜い言い訳」というアラブ人の慣用句もその一つだ。
また、筆者の「差別する側の多数派に属する人には見えない。または見ようとしない差別は、存在しない差別ではない」指摘は、どちらかと言うと日本国内では多数派に帰属する私には、その通り過ぎて刺激的であった。