憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

5月28日付東京新聞5面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、哲学者・内田節氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「戦争論という言葉からもっともよく連想される書物は、200年近く前に、ドイツ(プロイセン)の将校だったクラウゼビッツによって書かれた、「戦争論」だろう。

 それはこんな本であった。

 戦争は暴力によって実行される。

 しかも暴力はお互いの暴力の拡大を生み、こうして戦火が拡大していく。

 とともに、戦争は政治の手段であることも理解しておかなければならない。

 対外的な政治の手段であるばかりでなく、国内をまとめる国内的な政治の手段としても機能する。

 また戦争が勃発する過程では3つの要素がからみ合っている。

 国民のなかに相手に対する敵意や憎悪が広がっていること、

 軍人にとっては戦争が不確実性を伴っているがゆえに、自由な作戦と言ったある種の自由感がること、

 そして政府にとっては政治を実現するための道具という要素が絡み合って、戦争は実行に移されていく。

 クラウゼビッツは戦争が起こるメカニズムを正確に捉え、ゆえに彼の「戦争論」は今日も読み継がれている。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「現在の私たちは、戦争が起こる危険性を、直視せざるを得ない状況の中で暮らしている。

 北朝鮮は、戦時体制を維持することによって政治を行ってきた国だ。

 戦時下であるという危機を煽ることによって、対外的にも、国内的にも政治を遂行してきた。

 さらに中国やロシアも、そのような北朝鮮があることを道具として使いながら対外的な政治をおこなってきたのである。

 米国もまたまた戦後の歴史の中で、戦争という手段を政治の道具にしつづけた国である。

 戦争を通して国際的な地位を維持しようとしたばかりでなく、政府の支持率を高める手段としてもそれは使われてきた。

 戦争の危機を直視するとは、こういう世界構造の中で私たちは暮らしているということを、理解することでもある。」と教えてくれる。

 さらに筆者は、「だがそれは、このような構造のなかに、日本も加わっていくということではないだろう。

 戦後の日本が理念として掲げたものは、政治の手段として戦争を使わないということだった。

 その理念を反映したのが、憲法9条である。

 とともに、戦争無き世界を作るためには、特定の個人や人々に対する敵意や憎悪も捨てなければならない。

 クラウゼビッツが述べたように、敵意や憎悪も戦争を勃発させる要素の一つである。

 だから、たとえどんなに遠回りに見えても、相手を理解し交流することを美徳とする理念を育もうとしたはずだ。

 今の私たちは、凄惨な朝鮮戦争とその過程での北朝鮮軍、韓国軍による虐殺の歴史をどれだけ知っているのであろうか。

 もちろん私も北朝鮮を擁護する気はないのだが、歴史の無理解が広がり、不安が憎悪に向かえば、私たちは現在の国際政治の世界に巻き込まれるだけである。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「今日の状況下では、私たち自身が試されているのかもしれない。

 政治の手段として戦争という道具を用いないという理念、敵対、憎悪ではなく理解と交流によって未来を開いていこうという思想。

 そういうものを持ち続けるためには、私たちはどんな知恵を働かせていけばよいのか。

 それを訴え続ける勇気が、いま必要とされている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「200年前に、ドイツの(プロイセン)の将校だったクラウゼビッツによって書かれた「戦争論」という本がある」こと、

 「戦争は暴力によって実行される。しかも暴力はお互いの暴力に拡大を生み、こうして戦火は拡大していく」とのこと、

 「国民の敵意と、軍人の自由感、政府にとっては政治を実現するための道具という要素が絡み合って、戦争は実行されていく」とのこと、

 「北朝鮮は、戦時体制を維持することによって政治をおこなってきた国だ」との指摘、

 「中国やロシアも、そのような北朝鮮があることを道具として使いながら対外的な政治をおこなってきた」との指摘、

「 米国もまた戦後の歴史の中で、戦争という手段を政治の道具にし続けた国である。」との指摘、

 「戦争の危機を直視するとは、こうした世界構造の中で私たちは暮らしているということを、理解するということでもある」との指摘、

「戦後の日本は理念として掲げたものは、政治の手段として戦争を使わないということだった。その理想を反映したのが、憲法9条である」との指摘、

等々はよく理解できたし、大いに勉強になった。

 筆者指摘の「政治の手段として戦争という道具を用いないという理念、敵対、憎悪ではなく理解と交流によって未来を拓こうという思想」こそが、個人としても国家としても人類としても地球としても、豊かで長持ちする道だと確信した。知恵を磨き、勇気を養いたい。 

 

 


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# by sasakitosio | 2017-05-30 07:04 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月29日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。

 筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「加計学園が愛媛県今治市の国家戦略特区に獣医学部を新設するに際し、政府の介入があったとする内部告発が続いている、

 権力の乱用は論外として、獣医学部の新設自体に問題はないのだろうか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「我が家飼い猫は6歳から腎臓が悪く、動物医療は身近である。

 親しい獣医さんによれば、獣医学部卒後、動物病院で働く人は半数程度。企業への就職も多く、理由は新規開業の難しさだそうだ。

 獣医師の場合、個人経営の小規模な動物病院が中心で、多数の勤務医が働く医療機関はごくわずか。勤務医として働く道がないため、開業医として、働くのが前提となっている。

 この事情は歯科医師とよく似ているが、いまや歯科のクリニックはコンビニより多いと言われ、ワーキングプアと嘆く歯科医師もいる。

 歯科医師の状況を見てか、学部の施設に慎重な医学部。そして、獣医師もまた、養成過剰にならぬよう学部を増やさなかった。

 現在全国の獣医学部の定員は1000人に満たない。今回新設される学部定員が160人。

 十数パーセント定員が増えることになる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「公的保険の影響下にある医師と異なり、獣医師は自由診療。常にモラルが問われる仕事である。

 動物と人間の温かい関係を支える、獣医師という仕事。その養成を担うと思えばきちんとした基準で、可否を判断してもらいたい」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「勤務医として働く道がないため、開業医として働くのが前提となっている」とのこと、

 「この事情は歯科医とよく似ている」とのこと、

 「今や歯科医のクリニックはコンビニより多いと言われ、ワーキングプアと嘆く歯科医師もいる」とのこと、

 「現在全国の獣医学部の定員は1000人に満たない。今回新設される学部定員が160人。十数パーセント定員が増えることになる」とのこと、

 「公的保険の影響下にある医師と異なり、獣医師は自由診療」とのこと、等々を初めて知ることができた。

 学部新設程度の問題で、総理筋が絡むことを不思議に思っていたが、筆者の指摘を読んでその理由がわかった気がした。でも無理筋だったな、と思った。  

 


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# by sasakitosio | 2017-05-30 06:21 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月28日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。

 筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

まず筆者は「加計学園問題について、前文科事務次官の証言が飛び出したが、この発言の信憑性を損ねようとする政府の悪あがきは目に余る。」と切り出した。

 続けて筆者は、「前次官が在職中、怪しげな風俗店に行っていたと読売新聞が報じた。

 それがどうした。 法に触れなければ余暇に何をしようが勝手だろう。

 首相の提灯持ちを演じていたジャーナリストが悪質な性犯罪を実行し、逮捕状まで出ていたが警視庁幹部が握りつぶしたと週刊誌が報じた件は何の追及もなしか。

 権力者に近しい者の犯罪はもみ消され、権力者に逆らう者は根拠のない攻撃を受ける。

 確かに日本には複数政党や自由な報道機関はある。

 しかし、最大部数の新聞が政府の謀略に加担し、公共放送は政府の言い分を最優先で伝える。

 傲慢な権力者は議会を軽蔑し、野党の質問には最初から答えない。

 もはや日本は、かって中南米やアフリカに存在した専制国家になり下がったと言ってもよい。」と指摘した。

 最後に筆者は、「獣医学部新設は岩盤規制の打破だと政府の行為を擁護する声もある。

 それは大きな勘違いである。大学新設は政治が決めても良い事柄だが、どの大学が新学部を運営する能力を持つかは、行政が公平に判断する事柄である。権力者がそれをゆがめたのが加計疑惑の本質である。

 権力者の我儘に政治家や役人がひれ伏すような国は早晩ほろびる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「首相の提灯持ちを演じていたジャーナリストが悪質な性犯罪を実行し、逮捕状まで出ていたが警視庁幹部が握りつぶしたと週刊誌が報じた件はなんの追求もなしか」との指摘、

 「最大部数の新聞が政府の謀略に加担し、公共放送は政府の言い分を最優先で伝える」との指摘、

 「傲慢な権力者は国会を軽蔑し、野党の質問には最初から答えない」との指摘、等々はよく理解できた。

 筆者の「権力者の我儘に政治家や役人がひれ伏すような国は早晩ほろびる」との指摘は、その通りだと思う。

 そして、国民の多くが、政治家が、役人が、「政権支持率の急降下」という結果で、気づきが可視化できるといいのだが?


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# by sasakitosio | 2017-05-29 06:20 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月18日付東京新聞新聞社説に、「日本の平和主義 見直すべきは安保法だ」との見出しで日本国憲法のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「現行憲法に自衛隊を規定した項目はない。それでも東日本大震災があった翌2012年の内閣府の世論調査で自衛隊に「良い印象を持っている」と答えた国民は初めて9割を超えた。

 次に行われた15年の調査でも9割を超え、各地の災害救援で献身的に働く隊員の姿が自衛隊の評価を押し上げている。

 本来任務の国防をみると、「必要最小限の実力組織」(政府見解)とされながらも、毎年5兆円前後の防衛費が計上され、世界有数の軍事力を保有する。

 自衛隊は安全・安心を担う組織として広く国民の間に定着している。

 変化を求めているのは安倍晋三首相ではないか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「憲法解釈を一方的に変更して安全保障関連法を制定し、他国を武力で守る集団的自衛権行使を解禁したり、武力行使の一体化につながる他国軍への後方支援を拡大したり、と専守防衛の国是を踏み越えようとするからである。

 安倍政権は、自衛隊に安保法に基づく初の米艦防護を命じた。

 北朝鮮からの攻撃を警戒する目的にもかかわらず、北朝鮮の軍事力が及びにくい太平洋側に限定した。ことで安保法の規制事実化が狙いだとわかる。

 米艦を守るために他国軍と交戦すれば、外形的には集団的自衛権行使と変わりはない。

 安保法で改定された自衛隊法は、武器使用を決断するのは自衛官と規定する。

 集団的自衛権の行使を命じることができるのは大統領と国防長官の二人だけとさだめている米国と比べ、あまりにも軽く、政治家が軍事を統制するシビリアンコントロールの観点からも問題が多い。

 米艦を防護しても国会報告は必要とされず、 速やかに公表するのは「特異な事態が発生した場合」だけである。

 今回、報道機関の取材で防護が明らかになった後も政府は非公表の姿勢を貫いた。

 国会が関与できず、情報公開もない。政府が恣意的断をしても歯止めは機かいないことになる。」と指摘した。

 最後に社説は、「安保法により、自衛隊は軍隊の活動に踏み込みつつある。

 憲法9条に自衛隊の存在を明記すべきと発言した安倍首相の真意は名実ともに軍隊として活用することにあるのではないか。

 現在の自衛隊が国民から高く評価評価されている事実を軽視すべきではない。必要なのは憲法を変えることではなく、安保法を見直し、自衛隊を民主的に統制していくことである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「東日本大震災があった翌2012年の内閣府の世論調査で自衛隊に「良い印象を持っている」と答えた国民は初めて9割を超えた」とのこと、

 「本来の任務を見ると、「必要最小限の実力組織」(政府見解)とされながらも、毎年5兆円の防衛費が計上され、世界有数の軍事力を保有する」とのこと、

 「米艦を守るために他国軍と交戦すれば、外形的には集団的自衛権行使と変わりはない。

 安保法で改定された自衛隊法は、武器使用を決断するのは自衛官と規定する」とのこと、

 「米艦を防護しても国会報告は必要とされておらず、速やかに公表するのは「特異な事態が発生した場合」でけである。」とのこと、

 「「安保法により、自衛隊は軍隊の活動に踏み込みつつある」とのこと、等々を知ることができた。

 社説の指摘するように、「必要なのは憲法を変えることではなく、安保法を見直し、自衛隊を民主的に統制していくことである」と思った。

 シビリアンコントロールが実質的に可能なのは、自衛隊が「災害救助隊」として国民の信頼を得ることでなく、政府が軍隊としての「自衛隊」をコントロールするに足る「識見」を持っているとの国民的信頼がある状況が前提だと思うが。

 


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# by sasakitosio | 2017-05-28 14:18 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月17日付東京新聞社説に、「日本の平和主義 「改憲ありき」が透ける 」との見出しで、憲法改正のことが載った。

今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条改正は、自民党結党以来の「悲願」である。

 しかし、安倍晋三首相の9条改正論は、内容にかかわらず、憲法の改正自体を目的とする姿勢が透けて見える。」と切り出した。

 続けて社説は、「まずは、自民党の政権復帰直後のことを振り返りたい。

 安倍首相は2013年1月、本紙のインタビューに「憲法改正は衆参両院ともに3分の2の賛成があった初めて発議できる。

 極めて高いハードルだ。現実的なアプローチとして、私は96条の改正条項を改正したい」と答えている。

 憲法改正がしやすいよう、発議の要件を「2分の1」以上に緩和した上で、具体的な改正に取り組む段階論である。しかし、「姑息な手段」などと猛反発に遭い、首相もその後、言及しなくなった。

 首相が次に持ち出したのは、大地震など自然災害や武力攻撃を受け場合に政治空白を避けるために「緊急事態条項」追加だ。

 衆参両院の憲法調査会では、その是非についても各党が見解を表明したり、参考人から意見を聞くなど、議論を続けている。

 しかし、自民党の改憲草案が緊急事態の際、内閣が法律と同じ効力の政令を制定できることや、一時的に私権制限を認める内容を盛り込んでいることもあり、議論が前進していないのが現状だ。

 そこで首相が5月に持ち出したのが9条1.2項を残しつつ、3項を設けて自衛隊の存在を明記する新たな改憲論である。

 国防軍の創設を盛り込んだ党の改憲論よりも穏健に見えるが歴代内閣は自衛隊を合憲と位置づけ、国民の多くも自衛隊の存在を認めている。わざわざ憲法に書き込む必然性は乏しい。」と指摘した。

 最後の筆者は、「一連の経緯を振り返ると、首相の改憲論からは、改正を必要とする切迫性が感じられない。

 あるのは、首相在任中に憲法改正を成し遂げたいという(改憲ありき)の姿勢だ。

 東京五輪の20年を改正憲法施行の年と期限を区切ったのも、自らの在任期間を念頭に置いたものだろう。

 そもそも憲法の改正は、多くの国民から求める声がわきあがったときに初めて実現すべきものだ。

 憲法に縛られる立場にある行政府の長が、この部分を変えてほしいと指定するのは、立憲主義はもちろん、憲法擁護義務に反し、幅広い合意を目指す憲法審査会の努力も踏みにじるものである。

 党総裁との使い分けも、正当な主張とはおよそ言えない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「一連の経緯を振り返ると、首相の改憲論からは、改正を必要とする切迫性が感じられない。」との指摘、

 「あるのは、首相在任中に憲法改正を成し遂げたいという(改憲ありき)の姿勢だ」と指摘、

 「そもそも憲法の改正は、多くの国民から求める声が湧き上がったときに初めて実現すべきものだ」との指摘、等々の指摘はよく理解できた。

 何かをしたいので、既存の憲法の規定が障害だからとか、新しい憲法の条項が必要だとか、そういう具体的な政策目標が明らかにされないままの憲法改正って、国民エネルギーの究極の無駄使いではでないか。

 「戦争のない平和な世界」の実現とそこでの「日本国家・国民」の貢献に、ベーシックインカムを実現に、医療・介護・教育・労働の社会化を実現に、いま日本国憲法を変える必要はないような気がするが。

 


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# by sasakitosio | 2017-05-28 09:24 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月27日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。

 筆者は、アナウンサー・師岡カリーマ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 外国人を対象とした日本語教育では、言語の節々に表れる伝統文化や礼儀作法も紹介し、それに倣うように促す。

 代表的なものが謙孫の美徳だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「褒められても「ありがとう」ではなく「それほどでも」「まだまだです」と言おう。

 高価な贈り物でも「つまらないものですが」と言おう。

 となると、観光客が集まる京都各地に「日本人で良かった」というポスターを貼るのは、右だ左だの議論を通り越して、日本の礼儀作法や言語文化に反すると思われる。

 伝統再生をうたう団体主導なら違和感もひとしおだ。」と指摘した。

 さらに筆者は、「「日本人でよかった」は外国人が聞くと「あなたの国じゃなくてよかった」と言われるようなものだが、その国は例えばどこだろう。

 中国?

 製紙や印刷などの発明を生み、私たちに文字をくれた中国?

 誇れる伝統は、どこの国にもある。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「そういう私も、日本で良かったと思う。

 たとえば、日本は(一応)非戦国で職業に貴賤のない平等社会だと海外の友人に話す時。

 たとえ自己責任となじられても、弱者を助け、真実を伝えるために戦地にも赴く立派な市民がいるおかげで、同じ日本人の私まで敬意を表される時。

 国家権力に内心を(今のところは)裁かれない人権優先国であることを思う時、憲法がうたう個人の尊厳を実感する時。

 そんな日本人の誇りを切り崩そうとする人ほど、日本を誇れという。」として締めくくった。

 読んでためになった。

 「日本は(一応)非戦国で職業に貴賤のない平等社会だと海外の友人に話す時」、

 「たとえ自己責任となじられても、弱者を助け、真実を伝えるために戦地にも赴く立派な市民がいるおかげで、同じ日本人の私まで敬意を表される時」、

 「国家権力に内心(を今のところは)裁かれない人権先進国であることを思う時」、

 「憲法がうたう個人の尊厳を実感する時」、等に筆者が日本で良かったと思うとのことを知ることができた。

 自分的には、豊かな緑あふれる日本、日本語が通じる日本、妻子や孫子や知人友人がいる日本、戦争しない日本国、等々いい国だと、外国旅行から帰ってきて必ず実感していることだ。

 自然と歴史は輸出できないが、平和憲法はぜひ輸出したいものだ、と思っている。


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# by sasakitosio | 2017-05-28 07:07 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月16日付東京新聞社説に、日本の平和主義のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「自衛のための戦争なら何でも許されるーーー、そう考えるのは誤りである。

 振り返れば、日本に限らず「自衛」の名を借りて、侵略戦争を起こしてきたからだ。

 1946年6月。新憲法制定の帝国議会おける吉田茂首相の答弁を振り返ってみよう。

 <近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変しかり、大東亜(太平洋)戦争しかりであります。今日わが国に対する疑惑は、日本は好戦国である。いつ再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないともわからないということが、日本に対する大いなる疑惑であり、また誤解であります>

 だから、9条を定めこの誤解を正さねばならないという吉田の主張である。導き出されるのは、9条は自衛戦争も含めた一切の戦争という戦争を放棄したという、憲法の読み方である。」と切り出した。

 続けて社説は、「最も主権国である以上、自衛権をも否定するものではないと解されてきた。

 そして政府は自衛のため必要最小限の実力を保持することは憲法上認められるとしてきた。その実力組織こそが自衛隊だった。

 学問の上では違憲・合憲のやり取りは今も続くが、国民の生命や自由を守るための実力組織としての存在は、国民から支持を得ているのは間違いない。

 ところが、安倍晋三政権下で他国を守る集団的自衛権の行使の問題が起きた。 

 歴代の内閣法制局長官「憲法改正をしないと無理だ」と述べたのに、一内閣の閣議決定しただけで押し通した。「憲法の破壊だ」と声があがったほどだ。安全保障法制とともに「違憲」の疑いがもたれている。

 今までの個別的自衛権は自国を守るためであったし、「専守防衛」が任務であった。それなのに任務が”突然変異“してしまった。他国や同盟国の艦隊などを守る任務は明らかに9条の枠内から逸脱している。歴代の法制局長官もそう指摘してきた。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「安倍首相は9条一項、二項はそのまま残し、三項以降に自衛隊を書き込む改憲案を提唱している。もともと不意の侵入者に対する自衛権だったのではなかったか。

 もし米軍とともに他国まで出かけていく自衛隊に変質していくのなら、9条の精神は死文化すると言わざるを得ない。

 平和憲法を粗末にすれば、「自衛」の名を借りた、自衛戦争をまた引き起こす恐れが出てくる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「1946年6月。新憲法制定の帝国議会における吉田茂首相の答弁。<近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。 満州事変しかし、大東亜戦争然りであります。 今日わが国に対する疑惑は,日本は好戦国である。いつ再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないとも分からないということが、日本に対する疑惑であり、また誤解であります>」とのこと、

 「もっとも主権国である以上、自衛権をも否定する者ではないと解されてきた」とのこと、

 「今までの個別的自衛権は自国を守るためであったし、自衛隊は「専守防衛」が任務であった。

 それなのに任務が突然変異してしまった」とのこと、

 「もし米軍とともに他国まで出掛けていく自衛隊に変質していくのなら、9条の精神は死文化する」とのこと、等々を知ることができた。

 「平和憲法を粗末にすれば、「自衛」の名を借りた、自衛戦争を引き起こす恐れが出てくる」との、社説の危惧は至極もっとだと思った。

 日本国憲法の制定時、圧倒的多数で可決したが、「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」との主張で、反対したごく少数の政党と個人がいたと、聞いている。

 が、その政党は今日、社説や吉田茂首相の「自衛の名の下で戦争が行われる」との主張についてどのように考えているのだろうか?


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# by sasakitosio | 2017-05-27 17:36 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月26日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「編集者から「今,いちばん会いたい人は誰ですか」という質問を受けることがある。そういうときに「私は人見知りをするので・・」と言葉を濁しているが、実は一人だけ会いたい人がいる。東京拘置所に収監されている坂口弘確定死刑囚(70)だ。

 連合赤軍幹部だった坂口死刑囚は、山岳ベース事件や浅間山荘事件で殺人を犯した。」と切り出した。

 続けて筆者は、「筆者は鈴木宗男事件に連座し、2002年5月から2003年10月まで東京拘置所に拘留され、最後の8か月間、坂口死刑囚の隣の独房に収監されていた。

 拘置所の規則で、筆者は他の囚人と言葉を交わすことが禁止されていたので、坂口死刑囚とは一言も会話したことがない。

 しかし、獄中でのストイックな坂口死刑囚の姿は印象に強く焼き付いている。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「率直に告白するが、筆者がもう少し早く生まれ、キリスト教神学に触れることなく、学生運動に関与していたならば、坂口死刑囚と同じような道を歩んでいた可能性が十分あったと思う。

 外交官時代、筆者は北方領土が返還されるならば、文字通り命を捨ててもいいと思っていた。この思考事態に問題があったと今では思っている。絶対に正しいことがあると思い詰め、それ以外の世界が見えなくなっている状況から、人はどうすれば抜け出せるかについて坂口死刑囚と率直に話し合ってみたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「筆者は鈴木崇男事件に連座し、2002年5月から03年10月まで東京拘置所に拘留され、最後の8カ月間、坂口死刑囚の隣の独房に収監されていた」とのこと、

 「獄中でのストイックな坂口死刑囚の姿は印象に強く焼きついている」とのこと、

 「外交官時代、筆者は北方領土が返還されるならば、文字通り命を捨ててもいいと思っていた」とのこと、

 「絶対に正しいことがあると思い詰め、それ以外の世界が見えなくなっている状況から、人はどうすれば抜け出せるかについて坂口死刑囚と率直に話し合ってみたい。」とのこと、等々を知ることができた。

 坂口死刑囚と同じ年代の読者にとっては、坂口死刑囚の所業は、狂気としか言いようがなかった。同志を殺して、なにが革命だ。同志さえ信用できず殺してしまう集団や個人に、個人の解放ができるわけはない、と当時思った。

 智慧の教えと言われている般若心経に「照見五蘊階空、度一切苦厄」の一説があるが、坂口死刑囚には是非熟考してほしい、と思った。


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# by sasakitosio | 2017-05-27 06:15 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月25日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「公害反対運動を率いた宇井純氏がなくなって10年以上がたつ。

 氏の初作品「公害の政治学」(1968年)は、水俣や阿賀野川流域での聞き込みや産官学による公害隠蔽と被害者抑圧の政治力学の体験などから得た知見を新書に圧縮したもので、30歳代半ばの作品としては異例の完成度と衝撃力で今なお読者に迫る。」と切り出した。

 続けて筆者は、「大企業主導の成長や知と権力の癒着がどう構造的暴力を弱者に振る舞ったか、宇井氏は次々に暴き出す。

 原発事故で露呈したのはこの基本構造が何一つ変わらなかったという陰鬱な現実だ。

 通産省(経産省の前身)の有名な逸話の一つ。

 1959年末、通産省の池田勇人が厚生相を閣議で怒鳴りつけて、水俣病の原因をチッソ工場廃液の有機水銀とした研究会を解散させたという。

 翌年に池田は首相として所得倍増計画計画を閣議決定する。高度経済成長と公害隠しは表裏一体だった。」と指摘した。

 最後に筆者は、「比較するのは残酷だが、経産省の若手による「不安な個人、立ちすくむ国家」なる文書がある。

 子どもの貧困やシルバー民主主義等の常套句を国家の問題として掲げ。

 個人の決断や自己責任といった陳腐な処方箋を並べる。老人の死に方にまで指南する。

 エリートしか与えられない選択の自由を官僚が説教するという滑稽さ。

 原発事故の国家責任を素通りする残忍さ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「公害の政治学」(1968年)」があること。

 「原発事故で露呈したのはこの基本構造が何一つ変わらなかったという陰鬱な現実だ」とのこと、
「1959年末、通産相の池田勇人が厚生相を閣議で怒鳴りつけて、水俣病の原因をチッソ工場廃液の有機水銀とした研究会を解散させた」とのこと、

「翌年に池田は首相として所得倍増計画を閣議決定する。」とのこと、

 「高度成長と公害隠しは表裏一体だったのだ」とのこと、等々を知ることができた。

 池田勇人と所得倍増計画は、サラリーマンをしていた若いころにまともに体験している。

その当時の経験は、今でも記憶にある。3年間にわたって毎年30%以上のベースアップがあったのだから。その陰で、公害隠しが行われていたとは、分からなかった。
 原発事故でも、まさに「知と権力の癒着」が構造的暴力を弱者に振るっていることを、改めて知ることができた。


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# by sasakitosio | 2017-05-26 06:31 | 東京新聞を読んで | Trackback

5月15日付東京新聞社説に、憲法9条のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。 

 まず社説は、「憲法記念日に、安倍首相が自民党総裁としてとことわりつつも、九条改正を唱えたのを聞き、皆さんはどう思われただろう。

 自衛隊の存在を書き込むだけなら認めていいと思われたか、それとも不安を覚えられたか。

 私たち論説室は今年の元日前後に「日本の平和主義」と題した連載型の社説を掲げた。

 安保法が成立し次にはどんな形であれ、改憲の動きが出てくる。そうなれば焦点は9条、日本の平和主義が危うくなると考えたからだ。」と切り出した。

 続けて社説は、「連載の初回(12月30日)は、ずばり「憲法改正が来年の大テーマとなるでしょう」と書き出して、憲法の理想と現実の間には隔たりはあるが、現実を理想へと近づけることこそが正義の姿であると述べた。

 だから9条の平和主義を高く掲げよ、と。

 私たちのその姿勢は今ももちろん変わらない。

 連載は被爆国日本の役割、不戦国の誇り、自衛隊らしい「人助け」、「非戦」は国家戦略であるとつづけた。

 訴えたかったのは、戦後70年余の長きにわたり戦争せず今日に至ることができたのは、それが国民多数の願いであり、願いの象徴的文言が9条であるということだ。

 政治に知恵を絞らせもした。

 自衛隊はたしかに憲法の字句外にある。

 戦力不保持という憲法下で発足し、国連PKO(平和維持活動)の名の下に今は外国へも行く。しかしそれでも9条を侵しはしない。

 守るべきは専守防衛、他国の侵害はしない。

 首相は9条の一、二項、すなわち戦争放棄と戦力不保持を維持したうえで、自衛隊を認める明文を加えたいという。巧みな言い方である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「しかし、そもそも歴代の政府も多くの国民もその存在を認めてきた自衛隊を、急いで書き込む理由はなにか。

 しかも今の自衛隊は安保法により違憲濃厚な集団的自衛権を付与されている。

 展開次第では9条が歪められ、日本の平和主義が変質してしまうかもしれない。

 父や母、祖父や祖母、戦争体験者たちが命がけで守ってきた戦後日本の思いが霧消してしまう。

 キナ臭い現実をまだ見えぬ理想の現実に近づけよう。

 現実の追認は未来への否認である。

 人類の正義は理想へ向かう行動である。

 9条の精神を壊してはなるまい、」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「連載は被爆国日本の役割、不戦の国の誇り、自衛隊らしい「人助け」、「非戦」は国家戦略である」と指摘した、

 「キナ臭い現実をまだ見えぬ理想に近づけよう。現実の追認は未来への否認である。人類の正義は理想へ向かう行動にある。9条の精神を壊してはなるまい」と指摘した、等々を読んでその通りだと思った。

 今の憲法を生かした「日本社会のデザイン」、その先に「人類社会の平和と繁栄のデザイン」が書けないものか、と思っている。

 


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# by sasakitosio | 2017-05-26 05:57 | 東京新聞を読んで | Trackback